見出し画像

現実的な魔法

 亀ちゃんとは小学校の頃から何度もクラスが同じになった。一番古いダチだ。
 中学に入るとすぐ、亀ちゃんの母さんが事故で亡くなった。それで亀ちゃん家はおかしくなってしまった。親父さんが働く気力をなくしてしまったのだ。
 亀ちゃんはしばらく風呂にも入ってないみたいだった。それでなんだか周りから疎まれだした。それからすぐに悪い仲間とツルムようになって今度は皆から敬遠された。札付きというやつだ。もっとも所詮は中学生なのでそれほどの悪さをしていたわけでもないと思う。ただ、夜な夜な街をうろついているようだった。
 一度夕刻に街で会ったことがある。向こうは三人、こちらは一人だった。すぐに亀ちゃんだと分かった。目が合った。チャラチャラした服を着ていたが風呂には入っているようだった。何故か足が止まって、目が離せなくなってしまった。亀ちゃんはまた少し痩せたように見えた。
 仲間の一人が私に気づき「何ガン飛ばしているんだ」といって近づいて来た。そいつは幼いチンピラそのものだった。「うるせぇ」としか思わなかった。「亀ちゃんはお前らなんかと・・」と思った。
 結局「止めろダチだ」と亀ちゃんが声をかけ、三人は去っていった。夜の街に消えていく後ろ姿に『そうだお前は友達なんだ』と思うとたまらなくなってしまった。
「亀、卒業式はどうするんだ」と声が出た。自分でも驚くような大きな声だった。
「行くよ、見送ってやる」亀ちゃんは歩きながら、張り合うように大きな声で応えた。
「バカ、お前の卒業式だ」
「だから行くって、休みは貰ってあるんだ」そういながら見えなくなってしまった。

 結局亀ちゃんは卒業式に顔を見せなかった。卒業式の前から働き出したと噂で聞いた。私はその後、高校も卒業し工学部に進み、大学院まで出て設計事務所で設計士として働くようになった。
 仕事は順調だった。ただ、忙しすぎた。一通り仕事を覚えた後も、さらに覚えることが沢山あった。感覚が古くならないよう、新しい設計の情報をチェックすることも必要だった。雑誌やメディアの情報に限らず、施工業者の口コミも重要な情報源になる。良い建物を見るのも仕事だった。
 ある時、施工業者の間で噂になっている建物のことを聞いた。マスコミ嫌いが災いして、小さな建物の実績しか無いが、良い建物を作る設計者がいるらしい。業者の間では名人と呼ばれているという。
 天才や名人は昨今巷に溢れている。真に受けるのもバカバカしいが、一度訪ねてみることにした。
 教えてもらったのは雑居ビルの地下にある小さなカウンターバーだった。正直「なんだ内装デザインの仕事か」と思った。躯体構造から発想する建築とは違い、内装デザインにできることは限られている。装飾的な仕事は、過度に着飾った女性が水商売を連想させてしまうのに似て、一段低く見られる傾向があった。売れっ子の店舗デザイナーは、建築設計では考えられない料率の設計料を取る。そのことも水商売を思わせた。
 そのまま帰ろうかとも思ったが、せっかく来たので名人とやらの仕事を見せてもらうことにした。
 階段を降りて、扉を開けると10席ほどの小さなカウンターバーだが狭苦しい印象はなかった。「小さいけれどゆったりしている」という印象に戸惑った。この種の店は客席を目一杯取るのでどうしても狭小な印象が強調される。ハイチェアの高さや、カウンターの高さはセオリー通りに設計されていた。
 奇抜な演出はない。オーソドックスな設計だが良い印象だった。
 早い時間なので先客は手前の席に一人いるだけだった。その席から2つほど離れた奥の席に座り水割りを注文した。長居するつもりはなかったので、ビールにしようかとも思ったが、カウンターバーでビールだけ飲んで帰るのも気まずい気がした。
 座席は少し固めだが程よいホールド感があり悪くない。カウンターの材質もチープな感じはまるでなかった。パーソナルな空間に適度な余裕があり快適な作りだった。
 更に良く見ると、照明配置にメリハリを作り陰影が強調され、影になる部分には安い材料が使われていた。コストを抑えるため丁寧に設計されていた。
 次は空調計画とスピーカーの位置だなと思い眺めていると「ジロジロ見るなよ」と声が聞こえた。不躾な態度だったかとバーテンダーの様子を探ると、背を向けて作業している。気のせいかと思いなおし、いま一度空調の取り付け角度を確認するため恐る恐る視線を上げると「ジロジロ見るなって」とはっきりと声が聞こえた。
 声の主は少し離れた所に座っている先客だった。ゆっくりと彼の方を向くと、怖い顔をした同年代の男だった。背広ではなく作業着を着ていたがフットライトに高そうな靴が照らされていた。見覚えのある顔だった。
「ジロジロ見るなって」男は目を見ながらもう一度いうとニヤリと笑った。
 亀ちゃんだった。
「か・め・・」と少し情けない声がでた。懐かしくて何だか涙ぐみそうになった。
「覚えてたか」と言って亀ちゃんは隣の席に来た。中学卒業から20年以上の月日が経っていた。
 内装デザインはもうどうでもよくなっていたが、亀ちゃんはエアコンの位置とスピーカの角度を説明してくれた。いぶかしんだがやっと気がついて「お前の設計なのか?」と少し大げさに訊いてみた。
「そうだよ、合格か?」と亀ちゃんは自信ありげに審判を待った。
「100点だよ、名人級かどうかはわからんけどな」と答えた。正直な感想だった。
「名人って山下さんか?」と亀ちゃんは内装業者の名前を口にした。
「ああ、そう言っていたぞ」
「そんなこと言っては仕事を取ってきてくれる。ここもあの人の施工なんだ。調子いいんだよ、ありがたいけどね」と亀ちゃんは嬉しそうに目を細めた。
 そうか亀ちゃんの設計なのかと、改めてゆっくりと店内を眺めてから感想を伝えた。
「すごいな、頑張ったな」そう言った。
「中卒の割にはな」と言って亀ちゃんは少し照れだした。
「建築に学歴は関係ない、センスが全てだ」
 嘘ではなかった、同時にセンスを活かすチャンスを掴むのにどれだけの苦労と研鑽が必要だったのかは、親に学費を出してもらい何不自由なく学校を出て、ただ就職しただけの奴の想像を超えていることも分かっていた。
「すごいな、頑張ったな」と何度も言った。素直な感想だった。
「褒めてるのか?馬鹿にしてないか?」とあまりに同じことを繰り返す私に、亀ちゃんは少し不機嫌になった。
「本音だよ、でも少し話は違うが正直に言うと、長い間不思議に思っていたことがあるんだ。この世にはこれほどの差別があるのに、何故みんなその差別を普通に受け入れているんだろうか?」中学の卒業式から、頭のどこかでいつも考えていたことを言葉にしてみた。
「恵まれた者の罪悪感か?だったら気にすることはない」亀ちゃんは真顔で教えてくれた。現実的な魔法の話しだった。
「全ての人がいずれ死ぬのと同じように、差別はない。スタートが少し違うだけだ。望めば全て叶う。要するに想念は実体化する。目を閉じて、望むものを思い描いてみろ、リアルに、そしてもっと強く。信じられないと馬鹿にする人がいる。もっともな話だ、信じられない人の前には何も現れない。ルールが在る。法則と言ってもいい。まず、感謝すること。嘘じゃない、馬鹿げていると否定してはいけない。『感謝は後からするものだ、まず最初に感謝するのは理が通らない』と文句を言っては駄目だ。感謝は何よりの証になる。全ては静かに増幅される。善悪はない、際限もない、思うがままだ。競争する必要もない、誰かから奪うわけではない。良いことだけを考える。ボーとしていては駄目だ。常に、そしてリアルに思い描く。それだけなんだ、ただそれだけ。不安に思っては駄目なんだ、不安な気持ちもまた増幅されてしまう。だから大半の人は行って戻って何時も振り出し。何も変わらない。それであまり知られていない、というより信じられていない」突然の亀ちゃんの話に少しぼんやりしてしまった。
「恵まれた環境に育ったものが、後年落ちぶれてしまうことは普通にある。本当に普通にあるんだ。親父もある意味恵まれた環境で育っていた。でも弱かった。母さんの死を乗り越えられなかった。俺が居たのにな。いや居なかったのかもしれないな。まぁそれはまた別の話だ。親父が死んだ後グレかかったときにこの話を聞いた。不思議なことに何人もの人が異口同音に同じことを言った。だから信じてみることにした。一度信じたらブレては意味が無い。あれから二十年が経った。俺が望んだのは、だいたいこんなもんだよ。もっとすごい世界も在るんだろうが、自分にはリアリティーが持てなかったからね」
 亀ちゃんはそう言い終えると、腕を広げておどけてみせた。
「すごいな」とまた思った。そう信じて実現してきたのだろう。結果、運を味方につけた。そして、歩みは遅くなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?