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爺の雪合戦

 大判焼きほどの大きさのアイスホッケイ用の黒いパックに長い棒を差して雪の上に挿す。
 その雪深い村では、どこの家にも一本その黒い大判焼きは挿してあった。
 それは冬場に毎月行われる、雪合戦の的だった。
 3回投げて何回当たるかで競う、雪国ならではのゲームだ。ゲートボールは雪が降るとできないので考えられた。
 パーフェクトで勝負が付かないときは、三歩離れて再戦を行いその月のチャンピオンを決める。3回防衛すると、殿堂入りとなる。
 この村では殿堂入りしていない男は、一人前とみなされない。
 そして、年に一度、歴代の殿堂入りした者たちが集まり大きな円陣を組み、その中心に黒い大判焼きを差してキングを決める。チャンピオンゲームだ。
 この村では一年ごとにキングが変わる。
 女性は体力的に不利だがゲームに参加できないわけではない。一人だけ、下投の女王と呼ばれた女性が殿堂入りしてる、そしてその年のキングにまでなった。歴代ひとりだけチャンピオンゲームを連覇した者がいるがそれはこの女性だった。
 イカツイ女をイメージしてはならない。小柄でにこやかな女性だ。下投げはある程度の距離までは的に当たるのだが、再戦が続き距離が遠くなると当たりにくくなる。
 的までの距離が離れると、その軌道が放物線になるので下投げは距離感を掴むのが難しい。上から投げるには肩の筋力で女性は不利だ。
 しかし、投げるのは雪の玉だ。大きさや重さが決まっているわけではない。女王は小さな雪玉を強く固め、氷の玉に近い形で下からスピードを付けて投げた。その女性が王になったとき、その雪玉は黒いパックを弾き飛ばしピーンという金属的な音が響いたという伝説がある。
 この雪合戦は、黒い的に雪玉が当たると、雪球が壊れて黒い的が白く変わるというのどかな競技だ。的が弾き飛ばされることは想定してない。女王が君臨した間、小さな雪玉を下投げする形が流行ったが、その形で殿堂入りしたものは他にいない。下投げも、小さな雪玉も投げるのは難しいのだ。

 この女性の亭主がマメと呼ばれる小男で、村で一番大きな工場の社長だった。この男も村の出身だが殿堂入りはしていない。
 村では今でもマメと呼ばれている。

 女王は子供の頃から美人だった、ただ少し線の細いところがあり、幼い頃はいじめられた。もっとも陰湿ないじめがあったわけではなく、男の子が可愛い女の子にちょっかいを出すという範疇のものだった。下校途中に体当たりされたり、後ろから突き飛ばされた。 それは幼い女王にとっては深刻な問題となった。突然背後から体当たりされ、転んで膝を擦り剥いたりした。だんだん学校へ行くのが嫌になった。なぜそんな目に遭うのか、理解できなかった。
 幼なじみだったマメは「おまえが弱っちいからそういう目に遭うんだ」と言った。
 どうすればいいかとさらに問われて「雪合戦で殿堂入りしろ」とマメは答えた。
 深い考えがあったわけではない。大人に混じって合戦に参戦し、女の子が勝ち上がるなどということは前代未聞だった。もちろん前例などない。もし可能なら、確かに状況は変わるかもしれない。
 幼い女王は真に受けた。毎日夢中になって練習した。虚栄心の為の練習ではない。大げさに言えば生存がかかっていた。手を真っ赤にして、感覚がなくなるまで雪の玉を投げた。
 それでも一向にうまくならなかった。マメは心配になった。何せ自分がけしかけてしまった。まず手袋をしろといった。女王は手袋をしては感覚がつかめず投げにくいので嫌だと拒否した。
「練習の時は投げにくいくらいで丁度いいんだ、感覚がなくなっては練習にもならないだろう」と説得するとやっと納得すると言う具合だった。
 投げ方もなんとも不格好な、腕だけを振上げて投げる女投げだった。満足に的に届くことさえなかった。マメが見本を見せて教えてもできるようにはならなかった。
 何か手を考えなくてはならなかった。物を投げる方法はいくつかある。オーバースロー、アンダースロー、サイドスロー、下投げ、砲丸投げ、円盤投げ、バスケットボールのように両手で投げることもできる。
 使えそうなのは下投げだった。試してみるとなんとか的に届きそうだった。そこからさらに試行錯誤を加えた。右足だけ半歩下がり、少ししやがんだ状態から、伸び上がるように全身を使って右手を振り上げて投げる。
 初めて的に当たった。
 女王はそこからさらに練習を続けた。すぐに殿堂入りしたわけではない。女王が女王になるのは、そこからさらに十年の歳月を経た後のことだ。ただ、見るからに線の細い弱々しさは無くなった。
 しばらくして、いつもいじめてきた男の子の顔に雪の玉をぶつけてやった。おでこに命中して砕けた雪で顔が真っ白になったと得意げにいう女王をマメは真っ赤になって怒った。
「そんなことをするためにコーチしてやったんじゃない」というマメを前に女王は驚いておろおろするばかりだった。一緒に喜んでくれるとばかり思っていた。
 マメは女王が小さく堅い雪の玉を投げることを知っていた。そんな物を人にぶつけて怪我でもさせれば雪合戦そのものが禁止になってしまう。そのことを恐れた。

 雪合戦は、マメの祖父が考えたものだった。
村長だったマメの祖父は冬場の体力維持と暇つぶしのために雪合戦を考えた。
 冬場、特に老人は毎朝の雪掻きが終わるとすることが無い。昼間から酒を飲み出すものも少なくなかった。他に何か気晴らしが必要だった。
 体が鈍って雪掻きが面倒になると、すぐに生活に支障が生まれる。それが雪国の暮らしだった。誰かが代わって雪掻きをしなくてはならない。
 そんなことを解決するために、手軽な冬場の祭りとして考え出されたのがこの的を狙う雪合戦だった。たわいない遊びにも理由があった。

 雪合戦にはルールがある、ズルをするとブーイングが起こる。必要なのは所作の美しさだ。
 再戦の時は三歩下がる、少しでも近い方が有利だから歩幅を小さくすることは可能だ。規定では「歩く歩幅」となっているだけだ。この歩幅は体力差を埋めるハンディにもなっている。
 大柄の男が、ちょこちょこと下がり戦いに挑もうとすれば軽蔑される。例えそうして勝ったところで意味がない。殿堂入りは名誉をかけるものだ。そんなことを自然に学ぶルールになっていた。
 雪国で必要なのは連帯感だ、そてし、ズルをしてはならない。公正さは社会の宝だ。
 衆目の中で一人競技に臨む、人々が見極めるのはその人物そのものだ。顔見知りが揚げるブーイングの中で勝ち抜くことなどできない。

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