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ゼロスパイ

 その王様には影が無かった。大股で、偉そうに歩くが足音はしない。

 ゼロスパイたちを操って長らく世界に君臨する。彼らは気づいていない。自分が操られていることを。自分が利用されていることを。

 生かさず、そして殺さず。いつも笑い声が響いている。それは風の音とは違う。

 王様は、そのスパイを愛国者から選ぶ。感情的な奴がいい。「良い人」それが一番よい。自分を正義だと考えている、そういう傲慢な奴が利用しやすい。

 田舎では金儲けは悪だという風潮がまだある。しかし、金を儲けないでどうする。生活力のない男はクズ扱いを受けるし、惨めな暮らしになる。元気に働いて稼ぐ。言われたことをただこなすのではなく工夫して改善する。以前より効率よく、他人より根気良く。
『悪い事などひとつもないではないか』と爺様に聞くと、それは金儲けではないと言わしゃった。そんな程度のことで、金が儲かるなら苦労はない、戦争も起こらん。平和なもんだと。
争いの話などしていないというと、まじめに働いて生活費を稼ぐことを悪くいう奴などおらん。しかしそんなことでは金は残らん。ちいと贅沢でもすればすぐに消えてなくなる、足らなくなる。おぼつかない金額の金を稼いだぐらいで金儲けなどとは片腹痛い。だいたいお前は、どれほどの金額をどうやって稼ごうというのか、少しは具体的に考えてみたことがあるのかと、爺様は続けていわしゃったので考えてみた。
 考えるだけなら容易い。何でも良いから人々が必要とするものを、手頃の値段で提供すれば良い。必要な物は売れる、手頃な値段なら、どんどん売れる。どんどん売れれば、どんどん儲かる。儲かれば、またまたどんどん売ればいい。具体的といえるかどうかは怪しかったが理屈としては間違っていないと思った。
 しかし爺様は、そんなんでは駄目だなと首を振った。必要な物を手頃な値段で売っていたのでは儲かりはせん。必要な物はすぐに行き渡る、手頃な値段では儲けは少ない。行き渡れば売れなくなる。他所で売るには同業者と争わねばならない。勝ち続ける方法はないし負けていては金儲けなどおぼつかない。結局大して儲かりはしないし、大して金も残らん。害もない、平和なもんだ、問題ない。思いっきりやれ。しかし、金儲けとはいわんな。と言わしゃた。
 なんだかよく分からなかった。中村治が高校生の頃の話だ。爺様は若い頃に畑で蕎麦を育て、育てたそば粉で蕎麦屋を始めた。すぐに旨いと評判になった。町が発展して、国道のバイパスが爺様の蕎麦屋の前に通ると郊外に立地した爺様の蕎麦屋は繁盛した。経営は順調で治の父親が後を継ぐ事になり治が中学生の頃には店舗は改装された。広い駐車場を備えた木造平屋で数寄屋造りの新しい店舗は凛として品がある建物だった。
 新装開店後、程なくして腰が痛いと言い出した爺様は、新しい店舗は治の父親に任せて畑の近くの東屋に一人で暮らすようになった。隠居さんと周りの人には呼ばれていた。
 治が大学生になった頃、爺様に呼びつけられた。
「お前、文学にも哲学にも興味を示さずビジネス書ばかり読んでいるというが何のためだ。そんなにお金に興味が有るのか?」いきなりの直球だった。爺様はそれでもニコニコしていて怒っているようではなかった。
「特にお金に興味が有るわけではない。ただ、本当のことが知りたい。言い訳や痩せ我慢でなく何がどれだけ必要で、それにはどうすればよいか?それがよくわからない」そう治は答えた。
 治は次男で、五歳年の離れた兄がいた。子供の頃から兄は蕎麦屋を次ぐ三代目として育てられていた。商売をやっている家では大人はみな忙しく子供の相手をしている暇はなかった。食事も子供だけで食べた。それでも長男は大人達にとって、入学も卒業も受験も何をするにも初めてで、初体験の連続、それらは家族のイベントになり大切にされていたように思う。その点次男は惨めだった。常に、商売が優先された。兄で経験済みの目新しい事のない子育ては適当だった。店の裏庭で育ったような気がしていた。大人たちは一生懸命働いたので経済的には余裕があった。金はあったが育む家庭というものが無かった。そして次男には、親たちが稼ぐお金は長男を守るためにあるように思えた。
 次男の治は財産は当てにするな、教育費は出してやるから好きな道を自力で生き抜けといわれていいた。商家の次男に財産なしという訳だった。着るものから、学生鞄まで、全てが兄のお下がりでもあった。なにも期待もされていないように感じていた。
 治は何か好きな道を見つけ、大学を卒業して就職しサラリーマンとしてその道で生きていく。そして結婚して子供を育て、老いて死ぬ。一生借家暮らしかもしれない。もしくは必死に働いて家を買いローンを終える頃には人生も終りが見える。順潮に行ってもそんなところが相場に思えた。その間ずっと、豊かな財産に守られて順風満帆で進むと思われる兄の暮らしと比較してローンに追われる自分の将来は敗北感が漂う予感に苦しめられた。
 しかし利点もある。好きなことがあればその道に進むことはできる。家業を継ぎ、家業に縛られることはない。単純な結論として、自分の将来の成否は、好きなことを見つけられるかどうかにかかっている。たとえ貧しくとも「好きな道で何とか食べていけるなら、それは成功といえるだろう」と、考えてみた。
 本当だろうか?綺麗ごとにも聞こえる。そして、特に進みたい道がないのはさらに困ったことだった。
 治は小説も映画も音楽もそしてスポーツにも特に興味がなかった。結局、事業を起こすにはどうすればよいかと考えてみた。しかし漠然としすぎていてどこから考えれば良いか分からなかった。社会のことがまだ良く分かっていなかった。

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