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1年、文章を書いて生まれた背骨

この5月で、この定期購読マガジンは1周年を迎えました。


ただブログに書き殴って満足していた20歳の時からは考えられないほどに、

今はこうして記憶を人に読んで欲しいと一丁前に思うし、

私自身も文章に残すことで変化の置き石ができているよう。

そして、その置き石の延長に、先日の出版があったように思います。



そうか一年か、そんなに経つのか……と
NOTEのダッシュボードを見ると、
今年1月からの5ヶ月分の定期購読マガジンの売上が貯まっていた。


えいや…!と、振込申請ボタンを押す。



ふと「1年、一体いくら文章で稼いだのだろうか」という疑問が湧いた。思いついたのはいいけど、合計を知るのは怖いこと。恐る恐る計算してみる。

定期購読のマガジン、本の売上、、もろもろ足してみる。



合計金額がでた時、
なんというか、
体が数ミリ浮いて、プワプワとして
身体中からあったかい空気が
溢れ出る感覚だった。

その数字は、本業に比べたらまだまだではあるものの、そういうんじゃない。
まず、数字になることへの驚き。
なんで…なんで、言葉を書くことがお金になるのだろう。
嬉しいのだけど、いまだに信じられなくて。

例えば、おにぎりを食べたい。
だからコンビニでおにぎりを探して,
ツナマヨなら120円〜とか、
ちょっといい高級おにぎりには160円を払う。

これに疑問を持ったことはない。
だって対価だと思うから。


しかし、自分の文章というと、
月4本の350円という価値をつけている。
これは対価なのか??ずっと確信が持てないまま、宙に浮いているような感覚なのだ正直。

私の文章は、別に知識が増えるわけでも、
素晴らしい写真のコンテンツを提供しているわけでもないし、
今後そういうものは多分出さないと思う。

ただ、そこにある
いつも日常の切り取りである。

だから不思議なのだ。
誰かに価値を感じてもらっていることに。


言葉で、お金をいただく。


私の収入源の中で、あるようでなかったもの。
いつか、本当にいつか、
文章を書くことでゆったりと生活したい。
そんな夢のようなことを妄想していたのだけど、ついに妄想から現実へと片足を踏み入れてしまったと思った。

「文章を書くことで生まれたお金」

それは今の私に、
「あんたは著者なんだよ」「書く人なんだよ」と背骨をくれたものだった。


背骨を持った私は、しゃきっと生きねばならない。
背骨があれば歩いて行けるし,顔を上げることができる。

ついでに年内は、本をもって日本全国飛び回る予定です。年内に1000冊。届けるぞ。


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122字
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