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「」を捨てて、私に呼吸をさせて生きていく

皆さまこんばんは、こんにちは。
ひかりです。

今朝の地元は、太陽と風が元気で、いろんな言葉が浮かんでくる天気でした。湧いてきた言葉は賞味期限があるので、忘れないうちに少し残しておこうと思います。その延長で、最近の私の考えとか、決めたことなんかを記せたらなと思います。

まだまだ、空を見て泣いていたい。


空を見て、涙が溢れてくるか?


空は、私の調子を知るために沢山のヒントをくれます。今朝もそうでした。

空を見て涙が出てくるか否か、は、”私の心が息をしているのか”を確かめる方法です。
同じように、空以外にも、映画を見て泣けるか?星空を見て泣けるか?渋谷の路地を歩いてて泣けるか?など、つまり心が震える瞬間を探しては、自分の感性の鮮度を試す、という行為に近いのだと思います。

涙が溢れてくるのであれば、心は呼吸をしている合図。

しかし、心はとても気まぐれで、拗ねてしまうとそっぽを向いてしまい、何も感じなくなる摩訶不思議な現状が起こるので取り扱いが非常に難しいんです。

そして、心が何も感じない…という事は、私にとっては拷問レベルのようなものであり、人生で避けたいことトップ3には確実に入るので、私は何としてでも「自分の心に呼吸」をさせていたいと思ってます。

では、心が息をするために何をすればいいのか?というと、答えはとてもシンプルで「自分の直感的な心地よさ」を行動の基準にすることです。
過ごす場所、出会う人、かわす言葉、日々時間をかける事を「心地がよいか、良くないか」をパ!!と3秒で決めて信じることです。
それが心の声を聞く、一番簡単な方法なのではないかと思っています。

そんな方法をとりながら、私は心が心地よいことをして、何歳になっても「空を見て泣いている自分」でありたいと、強く思います。もし、そんな同世代がいたら、今度一緒に空を見て涙を流しましょう🌃🌃

精神と体の年齢が追いついていない、それもそれでいいや

毎年1歳ずつ歳を取りながら思うことは、いつまで経っても私の求める「〇〇歳」には追いつかないという事。20歳の時にも、21歳の時にも、22歳の時にも、同じことを思いました。
昔の人生計画では、20代なんて、なんでもできる仙人のような人になっている予定でした。完全に舐めてた。もちろん、そんなはずもなく、むしろ年々幼くなっている気がします。

それで、ある時、私が私に追いつこうとすることを辞めました。22歳や23歳を追いかけるのを辞めたんです。そして、このまま、幼くあり続けることを許容した自分がいました。

その理由は、先ほどのトピックにも結びつくのですが、自分を偽り背伸びをする事は、自分の心が心地よくないからだということ。
そして、年齢というものは、一つの便利な指標であって、「私がこう生きねばならない」を縛るものにしてはあまりにも頼りなさすぎるからです。
そう思ったら、年齢というものに判断が左右されている自分が滑稽に思えて、色んなねじれが取れていった気持ちになったのでした。いつまでも幼く、子供心を忘れない私でありたい、そんな私です。

動けなかった1年を、止まることができた一年に。

この1年を振り返った時、まるで時が止まった絵本の中のように、2020年あたりから記憶がストップしている。あの頃から、どう変わったのか?どう進んだのか?どう答えたら適切なのか、考えてしまうようなそんな日々でした。
その時には、県内から出られないことを言い訳にしたくなったし、誰に会うにも感染の状況を考えると、躊躇ってしまって、ほとんど人には会えないような1年でした。

この状況を例えるなら、真夜中。いつ朝がくるんだろうな〜〜と体育座りをして待っている、そんな感覚です。
こんなに「待つ」という行為をしたことがない自分にとっては、それはそれでよかったのかもしれない、なんて思うこともありました。
進むことよりも、止まることを選んだとしたら、きっと後にも先にも今以上のものはないのかも。なんて思ったりして。

私の役割は「違和感を創造力で昇華していくこと」


今もなお、私だけではなく、「待つ」という時間を過ごしている人は多いと思います。待つ中で、私は私の役割とは何か?みたいなことを考えていました。
というのも、以前読んだ画家の小松さんの著書に「私は絵を描く役割」という力強い言葉があり、3年経った今も忘れられないほど焼き付いているんです。では、私はどんな役割があるんだろう?なんて想像したけど、なかなか言葉にできず。答えは私の今までに眠っていました。
どうやら今まで私は、沢山の違和感を、アートやデザインと絡めてプロジェクトにしてきたそうです。それが一つ一つ形となって、作品となって、誰かに届けるということに大きなやりがいを感じましたし、「創る」ということに人間的な喜びを感じました。

その時
あ……私はきっとこれからも「創り続けて」いくんだろう。
と、なんの疑問も持たずに思いました。

今は、仮でもいいから、その役割と捉えて生きていこうかなと思います☺️

自分の声に従っていく、永遠に

では、創り続けるにはどうしたらいいのか?
方法なんて山ほどあって、何を選んでも間違っていないと思います。
私がどうありたいか?が、一番大切であることはわかっていました。

大学で看護を学ぶ中、そろそろ進路も決めなきゃいけないという時期になり
絶えずこの問いを繰り返した時、選択肢は安定的なもの、不安定なもの、挑戦したいものなどそれは様々でした。
そして、2.3ヶ月前かな。決めたのは、大学を卒業後は今のブランドPurna Chandraを大切に作っていくことにしました。
今は、このブランドを育てたい、という気持ちが強く残りました。

Purna Chandraから、不器用な癒しを多くの人に届けたいです。
日本中のアーティストさんや職人さんとともに、不器用な癒しの商品を作っていきたい。

そして数年後には世界中の方々とブランドを作り上げたいと思っています。
日本代表の不器用や癒しが、今のヒュッゲみたいな立ち位置になって、世界中癒しの一つになったらなんて妄想です。妄想で終わらせませんが😂
そういった未来にするには、世界で商品の買い付けや、ブランドのコラボをするために、コラボ相手にしっかりブランドの思いを伝えられるようになりたくて。
それで、英会話を始めました。
遠い未来も、今から少しずつ、現実に近づけていきます。

この進路に伴って、医療業界からは、少し離れてしまうけど、きっといつか帰ってくる確信があります。その時は、空間や世界観作りのプロ
となって、医療空間の心地よさをアップデートしたいです。その際は色んな友人達と空間を一緒に作りたいです!みんな、どうぞよろしくお願いします!!!

お世話になっている全ての方へ、感謝を込めて


長くなりましたが、これが今のところの私の状況と、少し進路のことを話しました。
いつも心配をかけまくってしまう自分ですが、今後も不器用に頑張るので、あたたかく見守っていただけると嬉しいです!!!

いつもありがとうございます!

ひかり

いつもサポートしてくださり、ありがとうございます。書く、を続けていける1つの理由です。