傍観者たち

連日のように《心愛さん》のいたましいニュースが取り上げられる

「なぜ、救えなかったのか?」

どの番組でも必ずと言っていいほどこの話になる。

結果 救えなかったのだから、あれこれ言ったって遅い。

だけど、次の《心愛さん》を作らないためにも

話し合うことは 大切なことだと思う。

だけど、私は思う。今までだってそうだったでしょ?

いたましい事件が起これば、色んな有識者や、コメンテーターが

あれこれと話しをし、誰かを責める。

今回も市の職員や、児童相談所の方々は《救えなかった人》として

様々な責めを負う。

確かにまずいよ。子供の必死のSOSを加害者である父親に渡すなんて

責められても仕方がない対応だったと思う。

だけど、そういった現場で働く人って

別に スーパーマンじゃないんだと思う。

例えば、警察官みたいに【警察学校】に通ったり、

消防士みたいに【消防署】で日々訓練をこなしたり、

そんな人じゃない、普通のサラリーマン。

それどころか、その職場を選択したのだから

ひょっとしたら、普通のサラリーマンよりももう少し

気の弱い、優しい人だったのかもしれない。

日々の業務の中で《虐待を行う人》という、

私たちには想像もつかないような神経の《悪者》と戦って

神経もすり減らすだろうし、心も折れるだろうし、

当初「子供を救いたい!」と熱意があったとしても

日々の業務で熱意が削がれることも、容易に想像がつく。

だからって「いいよ!!」ってわけにはいかないんだけど、

でもね、こういうのって前にもあったよね?って思い出す。

この「悪いことをした人には、何をしてもいい」みたいな感じ。

その人の情報をネットに晒したり、家族構成をばらしたり、

いたずら電話をしたり、ネットに書き込みしたり、

そして、それで自殺に追い込まれる人がいたり、、、って過去。

そもそも《子供を救う》って 大変ですよね?

《人を救う》って 相当な《権力》や《財力》が無いと無理。

もし私に財力があったなら、子供をガンガン受け付けられるような

施設を作れるかもしれないが、そんなお金はない。

もし、私がいかついガタイに、イカツイ顔面だったなら

暴力を振るう父親に 恫喝だの報復だので

救うことが出来るのかもしれない。

財力も、権力も、持っていない私は

結果《傍観者》だ。

この世には イジメられている子(人)と

イジメている子(人)と そして傍観者がいる。

虐待もしかり、虐待をする人と、虐待をされる人と、

そして、その何倍もの数の傍観者がいる。

知っていても観て見ぬふりをする。

何かをしてあげたいと思うが、何もできずにいる。

気持ちはあるが、だけど、動けずにいる。

そんな私は 傍観者だ。

折しもCSで《Mother》の日韓見比べ企画なるものをやっていた。

両親に虐待される子供を 救うために《誘拐》する。

という話だ。

《誘拐》は当然《犯罪》だ。だけど、救うすべがそれしかないのも現実だ。

日本に限らずだが、世の中には【法律】がある。

法律の中では《善意》なんて ちっとも力が無い。

いくら隣のおばちゃんが「かわいそうだから」と虐待された子供を

隠してかくまっていても、それは犯罪にしかならない。

【本当の親こそ最上】なんて誰が決めたんだろう?

【本当の親子なんだからわかり合える】なんて

《絶対》なわけでは無い。そうじゃない家庭だっていっぱいある。

だからこそ、こんな痛ましい事件が何度となく起こるのだ。

私は傍観者。自覚はある。

だからこそ、ちょっと一歩を踏み出して

【 お節介おばちゃん 】になることにして

#プチボランティア  を始めた。

権力も、財力も無い私の 今の精一杯だ。

そして、傍観者を責めるのはよそう。とも思う。

傍観者の私には、傍観者の気持ちもよくわかる。

自分の事で精一杯だったり、ゆとりが無かったり、

不安だったり、怖かったりするのだ。

だから、傍観者を責めるのではなく、傍観者に寄り添い

理解し、一緒なら出来ることを探そうと思う。

傍観者は数多くいる。だけど、何かをしたい傍観者だっている。

やり方がわからない傍観者もいる。

誰かを救う。なんて一大事業、そうそう簡単に答えが見つかる訳がない。

私には関係ない!って傍観者もいるけど、

そうやって模索をしている傍観者(ステップアップ希望)もいるってこと

心の片隅にでも置いておいてもらえたら

とりあえず、お節介一個 成功!!かな。

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