アンパンマンと呼ばれた日

昨日、とある場所で、とある人と

私自身の事について 深く深く話を聞いていただいた。

「あなたはアンパンマン。自分の顔をちぎっては与え、

それで喜びを感じれる人。」と、なんともマゾヒストなことを言われ

『え???』と 困惑したが、

なんとなぁ~~~く、合点がいった。

そう、私は【 愛されるよりも~~ 愛したいマジで~~ 】を

素でいく、尽くし型の人間なのだ。

もちろん【 出来ないことはしない 】のだが、

なまじっか出来てしまうから、あれこれと気をまわしてやってしまう。

そして【 愛されることが 絶望的に 苦手 】

愛されているな…と 感じると そ~~っと引いてしまう。

なので 【 奢られることが 苦手 】自分が出すことは多々あるが

「奢るよ!」と言われると「いや、いや、大丈夫!」と慌ててしまうのだ。

もうね、なんなんでしょうね、この可愛げのなさ。

そう、私には 【 可愛げ 】が無いのだ。

うまく甘えられない。いつも自分が率先して物事を解決してしまう。

嫌なのだ、弱みを見せるのは、お見舞いに来られるくらいなら

入院したなんて言いたくも無いのだ。

実に可愛げがない。 

で、なぜに、こんな私が仕上がったのか???

これは幼少期に起因すると思うと言われたのだが、

それにも別段に記憶が無くって、思い出せないし、無い気すらする。

って事で、曖昧な記憶をたどるより、

今、現在この症状をどうするか??

ってことの方が大事なんだと思うんだけど、

なんせ「あなたアンパンマンですよ!」って言われても、

え?そうなの?ってだけで、危機感が無い。

多分、損もしてると思う。

でもね、「ありがとう」って言われてればそれでいいかなぁ~

なんて思ってる私もいる。

どうやら私は【 カサンドラ症候群 】一歩手前、

もしくは片足を突っ込んでいる状態にあるらしい。

旦那の暴言や態度、理不尽な出来事、全てが許せてしまっている。

《 仕方がない 》《 そう思うなら そうなんだろう 》

やけに物分かりが良くなり、忍耐力やスルー力だけがグングンと上がった。

だから《 ありがとう 》に救われる。

《 ありがとう 》って言っている方も 救われているんならWin Winだ。

問題あるまい?と、思うが、

私のこの寛容さは 人をダメにしてしまうらしい。

なんとも、生きるって難しいね。

私は今の自分に 驚いている。

以前は割と何にでも腹を立てていた気がする。

それが、今では「そうなんだ、この人はこう思ってるんだな」と

受け入れてしまう。

「受け入れすぎ」とも 言われたが、それはそうだな、って思う。

思うけど、でも、出来るんだったらやってあげたい。そうも思う。

なんだろうね、やばい病気かな、もう死期が近いのかね、

って話したら

「いや、たぶん40年先も今みたいに 受け入れすぎを続けていると思う」

と、言われましたが、それはそれで、私ってアホだなぁ~って

ちょっと笑ってしまった。

福祉の心や 慈善の気持ちなんて 無いはずだったんだけどなぁ~

今では 困っている人に手を貸すことだけが生きがいのような自分がいる。

満たされてないのかなぁ~~~、

まぁ、満たされては無いわなぁ~~~(笑) 

満たされていないからボランティアとかに走るってのも変な感じだけど、

【 何かの時に役立つ私 】で、いられるために

頑張って勉強しようかな。

なんか、学んでる時間ってすごく楽しいし、

これからも どん欲に知識を増やしていきたい。

これって【 自分を愛する 】ってカテゴリーには入らないのかなぁ~

自分を愛せていないって、言われてみると

とても大きな【 欠落 】っていうか、【 欠陥 】な気もするけど

私が 献血が大好きな理由も もしかしたら

【 自己犠牲に喜びを感じる 】ってマゾヒスト的な由来だとしたら

ちょっと怖いね(笑)

ず~~~っと昔から「怒らせると怖い、ドSの人!!!」って

恐れられてきたのに

アンパンマンなんて 不思議。

っていうか、アンパンマンをそれほど観たことも無くって

あの人たちの名前がなんとなくわかる位の知識だから

あれが、妖精ってテイなのか、宇宙人なのか?とかいわれても

全くわかんない。

だからかなぁ~、これが褒め言葉なのか、けなし言葉なのか

悪口なのか、なんなのかも ぼんやりとしている。

困ったもんです。

って事で、今日は寝ます。 

ちょっとは自分を大事にしなきゃね。(笑)

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