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#35 こんなことがあった(見殺しにされている人たちと抗議する人たちを見て)

今住んでいる場所から遠いところで起きているから、テレビや新聞で十分に報道されていないから、そんな暗い話は見聞きしたくないから、だからよくわからないし、知らないし、関係ない、そんなことは言いたくないので、SNSなどに流れる劇場型虐殺のようなパレスチナの攻撃に関する投稿を見ている。また、アウシュビッツの生き残りの子孫たち、あるいはイスラエルにもパレスチナとは日ごろ関わり合いがない人たちが、虐殺をやめろ、攻撃をやめろ、学校や病院を攻撃するな、ライフラインを停止するな、といった抗議をしている投稿を見ている。リツイート(リポスト)などもしている。

そして、途切れていくパレスチナの現地からの声に関連して、わかっているのに、周囲にいるのに、助けられるはずなのに、知らないふりをしている人、そういう人に囲まれていることの深い落胆と怒り、そして恐怖みたいなものを思っている。

生死が関わるようなものではないが、周囲に人がいるのに誰も助けてくれないような状況は体験したことがある。

周囲全員が自分に敵意を向けている状態とは異なる、私が存在しないようにも思えてくるあのじわじわとした恐怖は今でも忘れることができない。客観的に見てたいしたことがない私のケースであっても、その後の人間不信みたいなものを強くしたきっかけのひとつになっていることから、今回生き延びた人、それを目の当たりにしているアラブ圏の人たち、それ以外の世界各国の人たちの、人道とか国際法とか、人類愛とか、理性とか、そういったものへの幻滅と暗い感情は、今後も長く私たち人類への不信感につながっていくだろうと思う。


通学の電車の中のことだった。

電車通学は中学校から始まっていた。片道1時間の車内で、運よく座席に座ることができれば宿題の残り(宿題がやたら多い学校だった)や読書、もしくは居眠りをすることができた。ただし、通勤通学ラッシュのため座席を確保できないこともあった。1時間、そこそこ重い鞄を持ち、徐々に乗車率100%に近づく車内で立っていることは体力を消耗するものだった。

ある朝、快速であと1駅で目的地(その路線の終点)に到着するという時に、後から思えば貧血の状態になったのだと思う。頭がどんどん冷えてくる、立っているのがつらい、そういう状態で、気が付けば満員電車の床にしゃがみこんでいた。満員電車だったのでいきなり女子生徒がしゃがみこんだ時の周囲の人にとっては大変迷惑だっただろう。

一瞬意識が飛んで、気が付けば顔の近くに電車の床があったので私自身驚いた。すぐに立とうと思ったけれども立てなかった。だからそのままじっとしゃがみこんだままだった。時間的には短かったかもしれないが、しばらくすると乗務員のアナウンスが聞こえる程度には回復した。

冷たい頭、耳鳴りのような血が体内を流れているような音、だるい体、そのような状況で顔を上げてみると座席に座ったスーツのズボンが並んでいた。新聞で視線を隠すような感じで、目の前で人がしゃがみこんでいたことなんて気づいていない感じで。

私の周りにも会社員のズボンが並んでいた。その誰もが私に話しかけることもなく、明らかに体調が悪そうな人がすぐそこにいるにもかかわらず、その場で立っていた。

まるで感情が無い人たちに取り囲まれているようで、人の皮をかぶった別の存在に囲まれているようで、このまま死にそうになっても殺されそうになっても多分誰も助けてくれないのだろうな、と突飛なことを思った程度にぞっとしていた。

ほどなく電車は目的地に到着し、開け放たれたドアから乗客が降りていき、周囲の人が減ってから立ちあがった。まだふらふらするので駅のベンチに座ってちょっと休んで体調を整えてから学校へ向かった。

生死の問題ではない、ただ単に体調不良か貧血のためにちょっと意識を飛ばして満員電車の中でしゃがみこんでしまった女子学生だった時の私の、周囲の人が怖いと思った記憶のひとつ。

その周囲の人が見て見ぬふりをしていた、そういうことが無かったようなそぶりをしていたことが、現在進行形で市民を殺戮し続けている状況と重なって、見ていて辛い(しかしだからといって目をつぶるわけにはいかない)という話でした。

*なお、ここでは誰も声掛けなどもしてくれなかった話を書いているが、それ以外の多くの場面で見知らぬ人に助けられてきたこともあります。そのあたりはまた別の機会に。