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#59 こんなことがあった(短歌の話:ワイクルー)

2017年度 近藤芳美賞 選者(馬場あき子)賞に選んでもらった「眠る水眠らぬ水」と題した一連の短歌は、主に夫の職場から題材をとったものだった。

夫が働いている職場では、というよりもおそらくはタイのほとんどの教育機関では、先生に感謝を伝える日(ワイクルー)の行事が実施される。ワイ=合掌する or 挨拶をする、クルー=先生(先生は「アジャーン」と呼ばれることもある)だ。

この日は生徒や学生がお金を出し合って花やお菓子などのちょっとした贈り物を持って先生に感謝を伝え、先生は教え子の学芸上達や精進などを祈るようだ。虚礼化している面はあるが、それでも教え子から感謝の意を示す行事があったり表敬訪問を受けたりすることはまんざらでもない様子で、先生たちは教え子たちに恥じぬよう自らに対しても一層の精進を誓う感じだった。

そういったワイクルーに象徴されるタイの習慣や、水路が多かったり、お店や屋台などの売り子さんの自らの感情に素直なところを掬い取ってみたのが以下の一連の短歌だった。

大学生の頃から数十年それなりに短歌を作り続けているとはいえ、まとめるのが苦手なので15首にまとめて近藤芳美賞に応募したのは初めてだった。それを自分が所属する結社の主宰者である馬場先生の選者賞に選んでもらったことは、多分一生で嬉しかったことベスト10に入ることだと思っている。

「眠る水眠らぬ水」
なめらかに水一枚を切り開く舟を見送り川は静まる
バナナの実百本ほどを実らせた枝無造作に路上にありて
駆け落ちが続く路傍の野菜店いつも静かなあの子も消えた
賃金に見合う仕事はどこまでか怒り顔した屋台の売り子
現地語で挨拶交わしお互いがニッポンジンと知る昼下がり
コーヒーとおしゃべり求めやって来る去年退職した老教授
親不孝のシンボルであるバナナの木空き地があれば植える人たち
子世代の苗が育てば親世代枯れるバナナにまだなれなくて
エメラルド色のバナナの葉が揺れて落ちそうになる透明の玉
雨音にモーターボートの音混じり勢いを増す雨季の街角
ジャスミンと薔薇の花輪を携えた緊張気味の学生の群れ
ワイクルー花輪捧げる学生に紐を巻き付け声がけをする
役立てる時がいつかはわからねど若者に告ぐ知識は力
部屋になお残る香りよジャスミンの期待を背負う教師たるもの
眠る水眠らぬ水が立ち上がり歌い始める南国の夜