あの時英米が、もっと賢く、日本をたたかず、日本と協調していれば、あの時とは支那事変や大東亜戦争です。中国もソ連・ロシアも朝鮮半島もこうはならず、東アジアは今よりも平和であったと考えることも可能ではないでしょうか。

 拉致などおこりようもなかったはずです。少なくともアメリカは、軍拡と覇権をむき出しにする中国に頭を悩ますことはなかったでしょう。しかし、アジアの植民地は、いまでもそのままかもしれません。英米が賢かったならば、多くの日本人の犠牲と植民地の独立はなかったかもしれない。歴史の結果はその逆で、多くの日本人の犠牲と、アジア諸国の植民地支配からの独立でした。自由社には272Pと273Pで朝鮮半島と日本の小見出しで「朝鮮半島は、近代日本の国防の焦点だったが、北朝鮮では、今でも朝鮮労働党と金一族の専制支配のもと、核とミサイル開発を進め、東アジアの不安定要因となっている」と記述しています。こうなったのは日本の責任ではありません。ここはまず、アメリカ自身に頑張ってもらうことが大事ではないでしょうか。

 中国という国は、ありません。今私たちが中国といっている国は、中華人民共和国のことですが、その前は、中華民国でした。中華民国の国民党政府は毛沢東共産軍に内戦で敗れ、日本が放棄した台湾に逃げ、それ以来台湾を中華民国として支配してきました。今は支配者の国民党が野党となって、台湾独立を希望する民進党の蔡英文総統が政権を握っています。中華民国の前は清です。その前は明です。さらにその前は、鎌倉時代に日本に攻めてきたフビライの元です。元は、蒙古、明は、漢民族、清は満州族がそれぞれ支配民族です。中華民国も中華人民共和国も省略した英文表記はChinaです。ヨーロッパ人は、チナと言っていました。日本人は、シナと言っていました。ですからあの大陸はシナ大陸、海は、今でも南シナ海、東シナ海です。中華民国は、将来国名をTAIWANに変えようという動きがあります。国旗も変えるかもしれません。
 孫文が、ロシア革命1917年よりも早く辛亥革命1912年に偶然成功して、清朝が滅び、中華民国建国を宣言したのですが、やがてこの中華民国にいくつかの政府が存在することになります。一つの国の中に南北二つの大きな政府があり、さらにそれがいくつかの軍閥にわかれ、それぞれ税を徴収し、紙幣を発行していたのです。それぞれの軍閥の後ろに、日本も含めて列強とコミンテルンがいるわけです。しかし、誰かが戦争をして統一しななければなりません。そうでないと外国から国家と認めてもらえません。孫文の死後、蒋介石が統一戦争をはじめます。まず、南京に国民政府を樹立し、中華民国の正統政府として北伐を推進します。その前に、孫文や蒋介石はたびたびコミンテルン代表と会い国民党の軍隊創設、軍士官学校の設立などアドバイスを受けています。民主主義国ではあり得ない、国家ではなく党が軍隊をもったのです。いまでも人民解放軍は、共産党の軍隊です。台湾も本来は国民党の軍隊です。

 蒋介石は、コミンテルンに騙されていたことにようやく気付き、国民党から共産党員を締め出すという「清党条例」を布告し、 全国で一斉に共産党員の粛清運動を展開します。つまり処刑です。国民党と共産党の合作が失敗したのでコミンテルンは、すべての共産党員を国民政府から脱出させます。周恩来は、南昌で蜂起しまが 、蒋介石に敗れてしまいます。8.1蜂起と呼ばれ、中国の健軍記念日はこの日です。毛沢東共産軍は、蒋介石の国民党軍にさんざん負けて、長征の旅に出てから延安に引きこもります。自由社232ページ側注に次のように記述しています。「1935年に開かれたコミンテルン世界大会は、従来の方針を転換し、ファシズムに反対する勢力を広く結集させる方針を採択した。これは人民戦線、または統一戦線とよばれた戦術だった。中国共産党は、国民党と敵対せず、ともに日本と戦う方針を決めた」 
 翌年、例の西安事件が起きます。しかし学び舎、東京書籍には記述がありません。西安事件は、油断した蒋介石が、コミンテルンについた張学良に軟禁され、共産党と一緒に日本軍と戦うことを約束させられてしまいます。断れば命はなかったでしょう。しかも息子はソ連にいましたから人質同然でした。毛沢東共産党は、これで息を吹き返します。この共産党のしぶとさはりっぱだとおもいます。おそらく計画と段取りは、コミンテルンがたてたのでしょう。 自由社の233P側注にあるように、もともと日本は、北京周辺には、列強諸国と同じく、僅かな警備用の軍隊しか置いていませんでした。読みます。・・「日本は義和団事件のあと、他の列強諸国と同様に中国と結んだ条約(北京議定書)によって5000人の軍隊を駐屯させていた」また、各国の租界がある上海には、日本人居留区警護の陸戦隊4000人しかいませんでした。9000人であの広いところを侵略などできるわけがありません。しかも上海郊外にはドイツ軍事顧問団の指導でつくられたトーチカ網が作られていました。こうしてうまく仕掛けられた支那事変が始まります。蒋介石は勝利を確信していたでしょう。自由社233P側注には、次のように記述されています。「中国軍は、ドイツの軍事指導と武器援助を受け、強力な軍隊に変貌していたが、日本はそのことを軽視していた。中国は見返りに、希少金属のタングステンをあたえて、ヒトラーの軍備拡張を支えた」。この中国軍という言い方は正しくなく、国民党軍です。教科書検定上このように表記しなければならなかったのかもしれません。日本軍は、かつての米軍が、ベトナム戦争や今のイラク戦争で泥沼にはまったのと同じ状態になります。とうとう大東亜戦争にまで拡大してしまい、最後に敗戦となります。国力も人命もすべて使い果たしてしまいます。普通ならここで周りと同じく植民地にされても文句はいえないのですが、天が日本の運命を変えます。米国とソ連との間で冷戦がはじまり、朝鮮戦争が勃発します。まだ連合国が日本を占領中です。ここで米国は、誤りに気付き、日本の力が必要と考えます。まず日本を独立させ、経済を復興させます。そして軍隊の再建です。それでは間に合わず、旧海軍の若手を集めて仁川上陸前の機雷掃海作戦を実行させます。仁川上陸作戦も旧軍人が立案したといわれています。そのご日本は、高度成長を果たし、新幹線が走り、東京オリンピックを開催、日本は、奇跡の復興を遂げます。しかし、冷戦は、激しさを増し、米国は、中国に接近してソ連に対抗しようとします。中国共産党には、世界の工場、外貨獲得の大チャンスが来ました。そうこうしている間にソ連は、米国との軍拡競争で経済が破綻、崩壊、たちまち中国は、世界第2の経済大国といわれるまでに成長していきます。いや日米が成長させてしまいます。さらに、中国は、大学や企業に送り込んだ留学生や技術者をつかい、半導体からあらゆる技術をタダ同然で搾取、つまり盗んで、コピーをつくってしまいます。コピーのほうがオリジナルよりも高性能になっていきます。中国共産党ファーストという中華思想と華夷秩序のDNAは、共産主義思想と親和性が高いのでしょうか。ここまでくると止まりません。とうとうアメリカの逆鱗に触れてしまいました。いっぽう習近平国家主席は、引き下がったらメンツ丸つぶれですから、一歩も引きません。このままいくと米中激突です。
 幸い今は、まだたがいに相手の弱点にジャブを打ち込んでいる段階です。米国は、特定の中国企業や留学生を自国から締め出し、チベット人やウイグル人、香港の弾圧を批難。南シナ海のサンゴ礁を埋めて軍事基地を作ったと批難。このあたりは、自由社272Pに書かれています。これは、同じページにのっている「中国による民族弾圧と周辺地域との紛争」の図です。
一方中国は、報道によれば、第三列島線のハワイに接近して艦隊訓練したそうです。また、トランプ大統領の再選阻止の工作をしているようにみえます。バイデン候補の選挙資金はトランプのザット2倍といわれています。BLMやANTIFAの活動資金はどこから出ているのでしょう。駐米中国領事館が閉鎖されるのにも理由があります。このような中、朝鮮・ベトナム戦争のときと同じように、今米国は、日本の力がみたび必要なわけです。かつて日本国内の社会主義勢力は、集団的自衛権行使、特定秘密保護法、憲法改正のように、日本が日米同盟を強化するような政策には、すべて激しく反対してきました。今後は、さらに激しくなるでしょう。

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