赤星

職業欄は著述業―こんな風にライターになりました(2)8月8日10時更新

職業欄は著述業―こんな風にライターになりました(1)の続きです。(全文公開で少しずつ更新していきます。無登録、無料で読めますが、スキボタン、コメント、投げ銭は大歓迎。モチベーションとビール代にさせていただきます)

2歩進んで3歩下がって飲んで騒いでまた2歩進む

1996年からしばらくのことは、じつはあんまり覚えていません。だいたい毎日バイト友だちの誰かとアパートで飲んでいて、彼らは「米3合か酒1瓶」を持って遊びに来るのがルールになっていました。深夜バイト後の朝から飲んだり、バイトのない夜に飲んだり。泥酔して、いつの間にか眠る。そうしないと眠れない。ふと目が覚めたら、あたり一面が真っ赤で、自分か誰かが吐血したのかと思ったら、床にぶちまけられた赤ワインだったということもあります。こういう朝はものすごく将来が、自分が不安で、怖くなる。泣きそうな気持ちになる。眠たそうな友だちを追い返して、毛布を洗濯機に放り込んで、原稿を書いたりしました。

連載を失って、書かせてくれる媒体はGON!1誌だけ。「こんな原稿書きました」とこちらで勝手に書いて、おもしろければ掲載されるというカタチです。〆切はないものの、書かなければ存在を忘れられるような気がして、小ネタをバンバカ書きました。GON!は東スポの暇ネタ部分だけを大量に集めてパッケージしたような雑誌です。意味わからなくてもおもしろければOK。いくら真面目に書いても、つまんないと判断されれば載りません。デカデカと載っていたのは「金属バットでロケット花火を打つ方法」とかそういう記事。ぼくも「大学生のあいだで脱輪がブームに!脱輪サークル代表にインタビュー」とか「うちの郵便受けにサケの切り身が投函されていたぞ」とか、何だか分からない思いつき原稿をせっせと書きました。それが少しずつ採用されるようになり、ごくまれに「こんな特集企画があるから取材して書いてよ」と言ってもらえるようになりました。収入としてはまだまだ小さなものでしたが、そのおかげで編集者さんやカメラマンさんと会話をする機会が増えていきました。

カメラマンのFさんとは何度か仕事をして、そのたびに迷惑をかけました。例えば名古屋特集の取材では、ほとんど取材アポを取っていなかった(取材予定なんて考えてなくて、思い付きで動きまわってた。そういうノウハウすら知らなかったのです)ので、すべてが行き当たりばったり。ぼくより7、8歳年上のFさんは呆れながらも、ちゃんと付き合ってくれて、上手くフォローしてくれました。もちろん感謝はしたけど、そこは20代の生意気盛りなので、アドバイスは半分程度しか聞きません。酔っ払うと「これからの雑誌は、うんぬん」とか、先輩に偉そうな意見とか披露してた気がします。それで何度か怒らせちゃったこともあるなあ、いまさらですが、ごめんなさい。

仕事としては依然としてガタガタですが、こんな日々を送っているうちに、ライターとしての自分の特徴がうっすら見えてきました。どうやら、編集者さんからは「読みやすい文章を書くライター」だと認識されているらしい。「原稿書くのけっこう早いね」とも言われた。だからといって特別手当が付くわけでも、表彰してもらえるわけでもないんだけど、でも、資格も肩書もない身として、こういう評価はすごくうれしい。読みやすさと早さが自分の特徴なら、これを武器の1つにしたい。意識しなくてはと思いました。

怪しい水晶抱えて取材へ

たぶん97年のある日、某オカルト雑誌から電話があり、取材原稿を依頼されました。目から水晶を出すという海外の少女についての原稿で、編集部には現地で調達したという、その水晶(と称するもの。実際にはガラスだった)の現物がありました。これを持って専門家のコメントを集めて欲しいとのこと。「どうしてぼくに?」と聞くと「前に原稿送ってくれたよね」との返事。名古屋から勝手に原稿・企画書を送りまくった先の1つだったのですが、あのときは本当に手当たり次第だったので全然覚えてませんでした。どうやら、そのときはスルーされたものの、その後ぼくの書いた記事をたまたま見かけて、声をかけてくださったのです。

依頼を受けての仕事はものすごくうれしかったのだけど、ここでもまた取材につまずきました。アポを取ろうとしても、そもそもな怪しげなオカルトネタなうえに、ぼくの説明が稚拙で、ちっとも相手にしてもらえない。「FAXで企画書を」といわれて、即効で書いて送っても返事が来ない。いま考えるとFAXに返事がなかった理由ははっきりしていて、受け取り先を部署にしていたこと(個人名でないと誰が受け取ったか分からなくなってしまう)と、返答期限を明記しなかったせいです。でも、そんなノウハウまったく知らないので「〆切に間に合わない」と焦るだけ。いっそ突撃しちゃおうと大きな大学病院にカメラマンのFさんとアポなしで乗り込んで追い返されたりしました。(こんなバカな思いつきにも笑顔で付き合ってくれたFさんは本当にすてきな先輩だったのだなあ、と改めて思います)最後は編集長に泣きついて、編集部にあったパソコンで近隣の眼科病院を検索してもらい、上から順に電話をかけまくって、応じてくれるお医者さんを見つけ、その足で取材。なんとか記事は間に合いましたが、2度目の仕事はもちろん来なかったのでした。

2度目の仕事がもらえた

28歳くらいのとき、30歳が1つの区切りかなあとぼんやり考えるようになりました。それでバイトに費やす時間を減らし、原稿を出来るだけ書こうと決めます。当然生活が苦しくなるわけで、電話の加入権ローンを組んだ某大手消費者金融のカードについ頼ってしまいました。他社からも、じわじわと借金をしました。その分原稿仕事をしたのかというと、受注がいきなり増えるわけでもないので、コンビニのバイト仲間と新宿のクラブスペースを借りてDJイベントのマネゴトみたいなことをやったりしていました。20世紀終盤の、典型的「ダメ」の気配が濃厚に漂ってますが、ホントにそうだったので言い訳できません。そんな中、新規の仕事がポツポツとつながるようになりました。

1つは音楽雑誌です。新人ミュージシャンにインタビューをし、本人の一人称形式でまとめる仕事。詳しい経緯は忘れちゃったけど、たしかDJイベントに遊びに来てくれた人に「やってみる?」と紹介されたのがきっかけだったと思います。それがまずまず好評で編集者さんから「次号もお願いします」といわれたのでした。毎月ではなかったものの、ときどき依頼してもらえるようになりました。金額としては不定期に1万円とか数千円が入ってくるだけですが、それでも前進ではあります。

でも前進しても「すごいね、載ってるね」と言われても、まだ職業とは呼べません。今思えば、別に職業欄に書けなくても、アルバイト感覚でも良かったのかもしれません。でも、当時のぼくが考えていたのは「後出しジャンケンを成立させたい」ということでした。せっかくバブル時代の最後尾に大学4年だったのに就職活動はまったくせず、そのままずるずる大学を中退しちゃった自分が、いまからどこかの企業に就職したら「あのとき、ちゃんとやっておけば」と後悔するんじゃないか。そんなつまんないことを気にしていたのを覚えています。「学歴とか関係ない世界に来たんだから、あれはあれで良かったのだ」と強弁したかった。ホントはボヤボヤしてたら、こんなことになっちゃっただけなんだけど、そうではないことにしたい。そういう「後出しジャンケン」をしているつもりでした。

(蛇足)ちょっと話がそれちゃうけど、ついでにもう少しこの辺のこと書いておきます。↑こういう「職業にしなくちゃ」という感覚が今でも通用するのか、しないのか、ぼくにはイマイチ分からないです。音楽がとくに顕著だけども「専業(もしくはおもな収入源)であること」と「プロであること」「良いものがつくれること」「社会的にそいいう人と認知されていること」は、どれも必ずしもイコールではなくって、それはある意味では困ったりすることだけど、ある意味では当然かもしれなくって、もしかしたら良いことなのかもしれないとさえ思ったりも、21世紀の今は、するのでした。これからは文章界隈も、もしかしたら色んな職業がそういうイコールが切り離されて、少なくとも前提ではなくなっていくのかもしれないなぁという気もしています。というわけで、当時のぼくのこだわりはもしかしたら20世紀後半っぽい苦悩なのかもしれません。でも、とはいえ、まだ21世紀冒頭なので、似た部分もありそう。と思いながら書いているというのが正直なところです。てか、これも「ライターになりたい」という人に、今のぼくが上手く答えられない一因になっています。とか、なんとか、めんどくさいことはまあ置いといて、とにかく何が起こって、何を考えてきたか、続きを書いてみます。(蛇足終わり)

もう1つはゴルフの雑誌でした。何度かお会いした先輩ライターさんの代打として声をかけてもらったのです。まったくやったことのないスポーツでしたが、どうやらゴルフ場会員権についての記事で、編集部が指定した専門家の方々に電話取材をして、それぞれの意見を中立的にまとめるというもの。知識や経験はあんまり関係なさそう。「やります」と引受けました。結果的になかなか好評で、以後も定期的に依頼がもらえるようになりました。とはいえゴルフ専門誌なので、プレー経験のない自分に書ける記事はもちろん限られます。でも編集者さんも、書き手も、ほとんど全員がゴルフ大好きでプレーヤーとしてもそれなりの腕前の方々ばかりなので、そういう専門的な記事にはそれぞれ相応しい担当の方がいるのでした。むしろ門外漢なのがはっきりしている分、「プレー以外のネタ」(例えば健康もの、ショップもの、時事ニュース関係、100人に聞きました的なアンケート企画など)はどんどんまわしてもらえました。しかも週刊誌だったので、あっという間に「ゴルフライター」みたいな感じになってしまったのです。やったことないのに。

(続きは少しずつ書いていきますので、宜しくお願いします。全文公開していく予定ですが、スキボタン、コメント、投げ銭励みになりますので、大歓迎です)

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