「男か女かはどっちでもいい」について

「さかなのこ」観了。
ネタバレなし感想というか、これきっかけの連想トーク。

文字でどかーんと、「男か女かはどっちでもいい。」から始まったことに、ハッとした。
モデルのさかなクンさんが男性で、女優ののんさんが主役なことは知っていたので、おそらくはそれに関しての前置きなのかなと推測する。
ストーリーの中で、ジェンダーを意識するような場面がいくらかあったものの、さかなクンさん、監督および全ての出演者の背景も知らないので、意図を完全には把握することはできない。ながらも、私はこういった考え方に大変共感する。
私は異性愛者ではあるものの、バイセクシュアルを公言するカズレーザーさんの「異性愛者と認識しているみんなまだ魅力的な同性にあってないだけじゃないですか」という内容の発言にすごくふむふむと思っていて、まあなんかそんなもんだよなと思うくらい愛情や家族を含む人間関係のジェンダーボーダーは曖昧でもいいと思っている。
例えばそんな場面に出くわすことは永遠になさそうだけれど、叶恭子さまにセクシーなお誘いを受けようもんなら、ふたつ返事で付き従ってしまう自信がある。面白そうすぎるじゃん、だってさ。
だからといってノンバイナリーとかをあえて主張するほどでもなくて、それすら意識しないくらいのどっちでもいい感。女だから絶対どうだ、男だから絶対どうだ、みたいなことを強く主張しないでいいというか。
近年ジェンダー分類はあまりにも細分化されているけれど、それってカテゴリーに囚われすぎなんじゃないのかなって思う感じ。生物界には男性に生まれて女性になる生き物もいるんだし、途中で変わる可能性だってなんぼでもある。
それぞれ置かれていて感じている問題はまあまあ色々ありましょうけれども、問題を感じていることを問題視しないのも一つの選択。
意識しすぎるせいで縛られるのも、自分の首を自分で締めている感じ、もっとおおらかに自由でいいんじゃないかなって、その方が楽よなーと思うんである。
(だからといって身体女性が感じている男性性の恐怖を無視するわけにはいかないというのは一言言っておきたい。これは物理的安全の問題だから。)

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