ASDからみる社会の恋愛規範と性規範

1.はじめに

本稿では、ASD(自閉スペクトラム症)者が直面する恋愛関係や性関係の問題を起点としたうえで、ソーシャル・マジョリティ研究の枠組みに基づき、社会における恋愛規範と性規範の言語化に取り組む試みについて述べる。
なお、本稿は京都大学における2023年度後期授業「ジェンダー論基礎ゼミナール」での筆者の発表および参加者の討論をもとに書かれた。

2.ASDとニューロダイバーシティ運動

精神疾患の標準的な診断基準の一つであるDSM-5によれば、ASDとは、社会的相互作用とコミュニケーションにおける欠陥および興味の限局と常同的・反復的行動からなる発達障害の一つである。具体的には、言葉の裏の意味を読み取る、臨機応変に対応することなどにしばしば困難を持つ。また、ASDでない人は定型発達(TD)者と呼ばれる。

しかし、このASDの診断基準には障害の社会モデルの観点から問題提起がなされている。障害の医療モデルは、障害は個人が持つものであり、社会適応のために克服する必要があると捉えるのに対し、社会モデルは、障害の個人的な側面であるimpairmentと社会的な側面であるdisabilityを区別する。つまり、個体の特徴としてのimpairmentと多数派に合わせられた人為的環境との間に生じる困難としてdisabilityを捉え、disabilityの克服のために、多様なimpairmentを包摂できる社会デザインを目指すのである。

ASDにおける障害の社会モデルの提唱は、ジュディ・シンガーから始まったニューロダイバーシティ運動に代表される。一般的にはASD者の特性としてコミュニケーションにおける欠陥が挙げられるが、本来コミュニケーションは相互的なものであるのにASDの診断基準においてその障害を属人的に記述することは不当であり、ASD者に対するTD社会への一方的な適応要求を正当化している点で過度に医療モデルに偏っているというのである。代わりに、ニューロダイバーシティ運動においてはASD者とTD者を共にニューロダイバーシティ(神経多様性)のスペクトラム上に属する人として捉える。ここで、TD者は健常者でなく多数派として、ASD者は障害者でなく少数派として再定義される。そして、ASD者がコミュニケーションに障害を持つのではなく、ASD者とTD者における感覚入力などの差のために、TD者に合わせて構成された社会やコミュニケーション様式はASD者にとって理解しにくいものになっていると主張する。

3.ソーシャル・マジョリティ研究

『ソーシャル・マジョリティ研究』では、障害の社会モデルに基づき、TD者に合わせて構成されたコミュニケーション様式をASD者にとっても理解しやすいように説明する取り組みがなされている。

現在、社会のコミュニケーション規範がASD者にとって理解しにくいことは、ASD者の社会参加の上で障壁となっている。しかし、これらの規範はTD者にとって内面化されており、TD者どうしの関わりでは意識する機会が少なくなっているため、ASD者がTD者に説明を求めても満足の行く説明はなかなか得ることができない。このdisabilityは以下のように述べられている:

他者との関わりにおける暗黙のルールを自然に守れている人に対して、そのルールがどのようなものかを尋ねても、答えることは難しいに違いありません。しかし、…自閉スペクトラム症を始めとした発達障害を持つ人々にとっては、こうした暗黙のルールこそが、見えない障壁として立ちはだかっており、社会参加を阻んでいます。

『ソーシャル・マジョリティ研究』

そこで、ソーシャル・マジョリティ研究では、ASD者が感じるTD社会の仕組みへの質問をきっかけに、主に当事者を対象にした専門家による講義と質疑応答を行うことで、ASD者とTD者で協力してコミュニケーション規範への理解を深めようとする。テーマの例としては、「雑談にはどのような暗黙のルールがある?」などがある。

4.ASD者と恋愛・性

ASD者がしばしば困難を抱える具体的な社会的状況の一つに、恋愛関係や性的関係がある。Dewinter, J.らの大規模な調査では、現在交際中の人の割合はASD者で50%、対照群で70%であった。

『自閉症スペクトラム障害とセクシュアリティ』は、児童ポルノの閲覧で逮捕されたASD者であるニック・ドゥビン氏の自伝である。ドゥビン氏は、ASDの診断が遅れたこともあり、子供時代には周囲から排斥され、性的な対人関係を築くことができないまま生活上の困難に巻き込まれていった。最終的に、ストレスおよび幼少期の子供に対するトラウマを埋め合わせたいという願望から、児童ポルノを閲覧し、逮捕された。彼はASD者としての自分が性的関係で抱えていた問題について以下のように述べている:

ふつうは、性的に親密になろうと思えば、まず基本的な対人関係からです。でもぼくに関する限り、ふつうの対人関係もむずかしいんだから、だれかと性的に親密になるなんて論外でした。

『自閉症スペクトラム障害とセクシュアリティ』

彼は、恋愛や性の文脈ではASD者が苦手とする行間やボディーランゲージを特に読み取らなければいけないという困難があることを述べている。また、ASD者の多くは、性的なはけ口を持たないだけなのに性的な面を持たないと見られがちであり、そのために適切な指導やカウンセリングなどにおける対応が不足することを指摘している。

ASD者の支援者の目線から書かれた『ケースで学ぶ自閉症スペクトラム障害と性ガイダンス』においてもその問題意識は共有されている。ASD者に恋愛/性規範は言語化されにくいためにASD者が苦手とするところであるし、加えてASD者はしばしば対人交流から疎外されるために自然に学ぶ機会も少なく、かといって明文的に教えられる機会も充実していないことが課題として挙げられている。特に、思春期を迎えて周囲の多くが性的な体験をするようになっても、ASD者は取り残されがちであり、逆に、特に女子の場合、無知に付け込まれて早期に性的体験をする場合もあることが指摘されている。

5.恋愛規範と性規範の言語化の試み

そこで、今回のゼミ発表および討論では、ソーシャル・マジョリティ研究の枠組みに基づき、社会における恋愛規範と性規範の言語化を試みた。討論の手がかりになるよう、恋愛/性愛の関係する社会的状況の例をいくつか提示したうえで、具体的な言語化ターゲットとして以下の4点を挙げた。

  1. 恋愛的/性的アプローチが許されるとされる「いい感じの雰囲気」はどう説明できるか。

  2. 「いい感じの雰囲気」に至るまでに、どのような非言語コミュニケーションが取られるか。

  3. 逆に、どのような状況と行為であれば”逸脱”行為/迷惑とされるか。

  4. アプローチをされた人は、どのようにして肯定的/否定的返答を伝えようとしているだろうか。

討論は、まずグループでの討論を行い、グループごとの出た意見をホワイトボードに書き出し、それをもとに全体での討論を行うという形式で進められた。なお、多くの人にとって、以下の恋愛規範と性規範の記述は当たり前の事項を列挙した冗長なものに感じられるかもしれないが、ASD者にとっては必ずしも自明ではなく、その感じ方の差こそがASD者の困難であるということに留意する必要がある。

また、今回のような討論途中でのホワイトボードへの意見の書き出しは少々時間がかかるものの、ASD者の中には音声情報よりも文字情報を得意とする人や声での討論の全体像把握に困難がある人もいるため、ASDに対する社会モデル的な対応として有用になりうる。(わたしは助かりました。ありがとうございます。)

6.討論

討論では、恋愛関係や性関係の絡む様々な状況について言及がなされた。

まず討論の前提に対して、「アプローチが許される」とは誰に対して許されるのかという問題提起がなされた。最終的にはアプローチを受けた相手に許されればよいが、よほど相手との信頼関係が気づかれた例外的な状況でなければ、社会的にも受け入れられるアプローチである必要がある。

ある班では最初にナンパが注目された。通常、どの程度のアプローチが許されるかは相手との関係性という微妙なものに依存するケースが多いが、ナンパでは相手との特定の関係性がない状態からスタートするため、言語化しやすい面があるのではないかと考えたからである。
そこではナンパの定番文句である「一人ですか?」という言葉の曖昧さが指摘された。字義的には一人でいる相手に一人かどうかを尋ねるという意図のわからない問いかけであるにも関わらず、一人でいる同年代ぐらいの知らない異性に、特に繁華街で話しかける状況では「一人だったら恋愛的な意味で仲良くなるために一緒にどこかお茶にでも行こうよ」 という特殊な文脈が読み取られることになる。

次に、ある人が他の人のことを恋愛的に気になっている(脈あり)と判断するときの、根拠となる行動がいくつか挙げられた。
一つは相手を見る特殊な目つきである。ただ、これの言語化は難しいようで、わたしは一つの具体例として目で追っている時間が長いことを挙げたが、それ以外の言語化されなかったイメージの集合としての「好きな人を見る目つき」が、ある程度は共有されているように思われた。
続いて、同性の友人と話しているときとは少し違う感じの口調も挙げられた。こちらは一般的には優しい口調を指すことが多いが、逆に強めの口調であっても、ツンデレとか照れているとかの好意的な解釈をされるような口調もある。
他には、第三者と話しているときに、その人のことをよく話題に上げることも脈ありと解釈される。
また、具体的な脈あり行動の一つして挙げられたのが、普段はインスタをあまりしない人が、わざわざリアクションをしてくるという行動である。インスタのリアクションは相手のダイレクトメッセージ(DM)に絵文字を送るという機能であるため、話したいという意思表示として伝わることになる。また、リアクションは必ずしもメッセージを返す必要がないものとして認識されているため、相手が自分には特に恋愛的な興味を持っていない(脈がない)場合にはスルーできるという点でも、相手の態度をうかがう気軽な手段として機能しているようである。
ほかにも恋愛に関する話題を振ってくることなどがあげられ、総合的に、何らかの「特別な感じ」「わざわざ感」を受け取るような行動が、脈ありとして判断される傾向にある。

気になっている段階からいい感じと呼ばれる段階になるとさらに別の判断基準が挟まる。
基本的には、異性と二人で遊びに行くのが「いい感じ」とされる。しかし男女でも年齢差がある場合など、必ずしも「いい感じ」と思われるわけではない。逆に同性同士の場合は、異性愛を前提として話されるので二人であってもあまり「いい感じ」とは認識されないことが多い。同性同士でも男性同士と女性同士では少し見られ方が異なり、男性同士なら手を繋いでいると確実に付き合っていると思われるが女性同士だと断定はできない感じになる。
また、脈あり/いい感じ/付き合っていることに第三者として感づくことは、特にASD者にとって難しいものであるのは言うまでもないが、TD者であっても気づく人と気づかない人の差が大きいことも指摘された。気づかない人に対しての「鈍い人」という呼称が日常語として存在することは、そういった人たちがTD者であっても一定数存在することを示しているといえるかもしれない。

そこから付き合うという段階に進むうえでは、告白を経ることが一般的である。
告白する状況はある程度決まっており、相手を呼び出したときであるとか、二人で遊びに行った後が代表的な例である。周囲に他の人がいることは避けられる一方で、周囲の人が通行人などの知らない人であれば許容される。告白されそうなシチュエーションだということをお互いに認識している方が望ましいが、事前にいい感じになっている相手であれば比較的唐突な告白でも許容される傾向にある。
告白に対しては、関係が告白に至る段階まで進展しているならば告白はただの確認という側面が大きく、ASD者にとってはそれまでのアプローチのほうが難しいのではないかという指摘があった。

こうしたアプローチ全般に対する反応としては、肯定的なものとしては自分からもアプローチを返す、同じぐらいのテンション(お互いのメッセージの量などから読み取られる)の反応を返す等があり、否定的なものとしては相手との接触を避けるとかそれとなく拒否を伝えるという手段が取られる。特に否定的な反応は、一般には間接的に伝えることが優しさとされているため、ASD者には伝わりにくい可能性があることへの言及があった。

また、「いい感じ」の雰囲気の読み取りを学習する方法について、経験上の恋愛規範/性規範と現実とをすり合わせていきながら形成される側面が挙げられた。人は成長する中で過去の現実やフィクションにおける経験から規範を推測しており、その経験上の規範に従って行動しながらも、相手の反応などの現実が経験上の規範と合致しない場合には経験上の規範を修正する、というプロセスである。

7.討論を受けて

社会の恋愛規範/性規範は日常で言語化される機会が非常に少ないこともあり、ゼミでの討論は非常に興味深いものだった。

まずは「アプローチが許される」という表現について、あまり言葉が適切でなかったという反省がある。規範という社会的な構造に対して、許す-許されるという言葉は二者間の比較的私的な関係を想起させてしまった。もちろん、相手から不快に思われないことは重要である。しかし、たとえばアプローチを積み重ねてから告白するのは標準的な順序であるが、仮にその積み重ねたつもりのアプローチがアプローチとして認識されるものでなければ、相手は唐突に告白されたと感じてしまうだろう。また、望まない相手からのアプローチを断る、あるいはアプローチの範疇を超えて犯罪となるような行為を拒否するには、自分の不快感だけでなく社会の規範を把握する必要がある。こういった点から、「アプローチが許される」というよりも、「アプローチの範囲内として認識される」と記述したほうが即している。

「脈あり」の判断基準については、何らかの「特別な感じ」「わざわざ感」を受け取るような行動が注目されると上で述べたが、これをASD者が見極める際にはいくつかの困難が想定される。
まず、社会における特別でない行動を認識しておく必要がある。しかし、ASD者はその常同的行動にも現れているように、複数のものを同一カテゴリであると判定するときの基準がTD者よりも厳しい傾向にあり、特別でない行動という非常に多岐にわたるものをTD者と同じようにカテゴライズすることは難しいだろう。
また、本人にとって不利な恋愛関係や性関係に巻き込まれないためには、「特別な感じ」「わざわざ感」のうち好意的なものと悪意のあるものを区別する必要があるが、それに利用される表情や口調といった非言語的なシグナルはASD者にとって読み取りにくいものである。

また、「脈あり」の読み取りの学習においてもASD者はTD者と同じように進まないと推測される。
ASD者は表情を読むことや視線を合わせることにしばしば困難を持つため、状況や相手の態度の読み取りはTD者と同じようにはなかなかいかない可能性がある。加えて、ASD者はTD者に比べて臨機応変な対応を避けることから、経験上の規範の修正がTD者ほど高頻度では行われないことも考えられる。
そこで、ASD者が自分のアプローチに対する相手の反応を見極めるための具体的な方法として、双方がASD者である夫婦が著した『アスペルガー症候群 思春期からの性と恋愛』では、「三振ルール」が提唱されていた。ゼミ内で指摘されていたように、ASD者は婉曲な否定的反応を見極めることが得意でない。そこで、デートへの誘いが3回断られたら脈がないと判断するという方式である。これは必ずしもTD者の判断とは一致しないが、断わられた回数という判断基準はASD者にとっても十分に明確であり、大きなすれ違いを避けるには役立つだろう。

8.おわりに

今回、恋愛的/性的規範をソーシャル・マジョリティ研究の対象とする試みを通じて、社会の恋愛規範/性規範を言語化することは、特にASD者にとって役立つものであり、TD者にとっても様々な状況で助けになることが明らかになった。

ASD者と恋愛/性の関わりは様々な媒体で論じられているが、その多くは医療モデルの観点に立ち、ASD支援者の目線からASD者の"逸脱"行為を修正することを目標とするものであり、そもそも社会が何を"正常"な行為として許容しているかを満足に説明しているとはいえない。また、一部にはASD者が読むことを意図した書籍も存在するが、こちらもあくまで恋愛/性関係においてASD者が適応的なふるまいを行うための指標となることに力点が置かれている。
そこで、今回のような社会の恋愛的/性的規範を記述する試みは、ASD者に一方的な適応やマスキングを要求することのない、より社会モデル的な視点の提供につながる。

またTD者にとっても、家庭内暴力、セクシュアルハラスメント、デートレイプなどのように、恋愛や性はときに困難な課題となる。これらの問題に取り組む際に、対比としての望ましい社会の恋愛規範/性規範が明確になっていることは必須であると考える。

謝辞

ジェンダー論基礎ゼミナール内において熱心な討論を行ってくださった参加者の方々、そして、議論を円滑に進め、様々な問題提起を行ってくださった先生、ありがとうございました。

参考文献

American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (5th ed.). Washington DC.

Atwood, T., ほか. (2020). 自閉症スペクトラム障害とセクシュアリティ:なぜぼくは性的問題で逮捕されたのか. 田宮聡 (訳). 明石書店.

Dewinter, J., De Graaf, H., & Begeer, S. (2017). Sexual orientation, gender identity, and romantic relationships in adolescents and adults with autism spectrum disorder. Journal of autism and developmental disorders, 47, 2927-2934.

Newport, J. & Newport, M. (2010). アスペルガー症候群 思春期からの性と恋愛. ニキ・リンコ (訳). クリエイツかもがわ.

綾屋紗月編. (2018). ソーシャル・マジョリティ研究:コミュニケーション学の共同創造. 金子書房.

熊谷晋一郎, & 綾屋紗月. (2014). 共同報告・生き延びるための研究. 三田社会学, 19, 3-19.

田宮聡. (2019). ケースで学ぶ自閉症スペクトラム障害と性ガイダンス. みすず書房.

星加良司. (2007). 障害とは何か-ディスアビリティの社会理論に向けて. 東京: 生活書院.

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