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先輩と後輩の間にいたかもしれない通訳者の話

ここ数日の身の回りはこの漫画の話で持ち切りだった。

先輩として後輩との距離のとり方に苦慮したり、そもそも親しげに振る舞いすぎたと後悔したり、
あるいは後輩として先輩を怖がらせてしまったことをあとから気づいて悔やんだり、あのとき怖がらせてしまったのではないか/いつか誰かを怖がらせてしまうのではないかと怯えたり、どうして先輩は嫌ならはっきり拒絶してくれなかったのかと恨んだり、
あるいは先輩や後輩を周りで見たことがあって、彼らを心配したりいたたまれない気持ちで眺めたりしている人が、たくさんいた。

わたしは、あの状況の中で、あたかも通訳のように振る舞う自分の姿が思い浮かんでいた。あの先輩と後輩の間にはいなかったけれども。

自分はどこまでいっても非言語コミュニケーションに比べて言語コミュニケーションを重視する人だし、非言語は言語に比べてうまく読み取れない。
告白ってやつが、中学生から高校卒業するまでの間のどこかで、それほど関係値のない相手を一か八か校舎裏に呼び出しても許されるものだった時代から、勝確状況以外だとストーカーになりそうとか距離感が不気味とかって怖がられる時代に推移するという暗黙の了解に気づかず危うくトラップを踏みかけ、間一髪のタイミングで気づいて恨み言をこぼした人だ。
わたしが後輩だったら、きっと、自分の好意を先輩が迷惑に思っているなら、「あなたのやってることちょっと怖い」、あるいはもうちょっと断罪的でなく個別的に「あなたに好意は持っていないよ」、「LINEあんまり送ってこないでほしい」を言ってほしいと思う。言ってもらえないと態度/対応/雰囲気からは読み取れる確信がないので。

ただ、たぶん言うのめっちゃ怖い人が多いと思うから、言われなくても読み取れるように努力はしているし、むしろ言ってほしい人のほうが少ないのだと思う。逆にわたしが周りに言う人になったら、きっと怒る人やダメージ食らう人が大量に出るのだろうとも思うし。
それに、わたしが言語コミュニケーションに重点を置くのと同程度に先輩が非言語コミュニケーションに重点を置く人だとして、非言語の拒絶が後輩に無視されたと感じたとしたら、わたしが言語での拒絶を無視されるのと同等に絶望的で、直接のコミュニケーションを諦めるもの納得が行くものに思う。

…みたいなことを、この漫画を読んで1日ぐらい、ぐるぐる考えていた。

結局、この話は、わたしにとっては「ふたりの話していた言語が違ったという話」になった。言語が違うから見えてる世界も当然違って… 

おれはよく通訳のようにああいう場面に臨場する。

先輩→おれ「こんな後輩がいてちょっと怖い」
おれ→先輩「それは怖いよね~(ああこれ拒否が通じてないなあ)」

おれ→後輩「先輩のこの断り方は、わたしはあなたに好意を持ってないから誘ったりLINE続けたりするのやめてくださいっていう方言だよ。そこでLINE続けると『自分は拒否されてもなおLINEを続けるぐらいに拗らせててストーカーになるかも』って意味になるよ、怖がらせちゃってる」

わたしはこれ言うの嫌でも怖くもない人で、きっとそれは相当な特殊技能なのだと思う。
わたしにとってはエレベーターで10階を押せない小学生と乗りあわせて代わりに押したぐらいの気分なのに、わたしが登場するまで当人たちはまったくボタンを押すという発想がなくて、わたしの通訳が終わってみればわたしのことを魔法使いでも見るような目で見つめている。

自分で書いていても、お節介で上から目線の嫌なやつには映る。
でもわたしが感じているのは優越感というより混乱と困惑だ。
なんでこんな上位存在気分を味わわないといけないのか、どうしてみんなはこれが見えていないのか、いや逆にこれは全部自分の妄想ではないか、でもあのときはとても感謝された、でもその感謝すら社交辞令なのではないか、あのときは本当に感謝されたにしても別のときはひどい勘違いをしているのではないか…

それでもエレベーターで10階を押せない小学生と乗りあわせるから代わりに押しちゃう。
異なる文化に属する人たちの間にはときおり齟齬が生まれて、それは自分がひょいっと通訳すれば解決するから。それなのに放っておくと、先輩と後輩のように双方がもっと傷ついて、それは見ていてとても悲しいことなので。

非言語コミュニケーションなんて『幻想』だから人間なら言葉で話せよ、って言うこともできるけど、でもわたしは非言語も言語もコミュニケーションとして同様に確定的で同様に推測的だと言いたい。
逆に非言語コミュニケーションの読み取りと発信を強制的に求められたら、わたしはしんどいし。


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