2022/11/10 「少し考える」


今日から日記を書くことにした。一年後には、一年前のこの日記だけしか存在しないかもしれないのに。

3日も日課を続けられない人間がこんな事をしようと思ったのは、ダ・ヴィンチ・恐山こと品田遊という人の影響が大きい。今新刊を読んでいる。

「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」 品田遊 朝日新聞出版

インターネットのメディアに侵され、もう本というものを読まなくなってきた。どうやら今の私には、論理で構成された文章を読み砕く咀嚼の力がなくなって来ている。多分前からなかったと思うが。
そうした中で、興味を持っているのは小説とエッセイと詩だ。小説もちまちま読み進めているものがあるが、かねてから気になっていた人の新刊が出てから、こちらをまたちまちまと読んでいる。

詩とかこういったエッセー集の良いところは、読み区切るタイミングが自由であることだと思う。1分間ツイッターを読むように気軽な軽さで文を読み進めることができるのがとても良いところだと思う。

こうやって書いていると、自分が思っていることを書いてもいるし、書くことによって自分が何かを思っているようにも感じる。アウトプットしなければ思考はできない。

今日は久しぶりに外に出た。多分3日ぶりほど。こんなに外って気持ちよかったっけ。

自分は、デスクトップPCに魂を売っており基本そこの前で生活しているので、引きこもるとなったら本当にその前の世界でしか生きてない。私は元来外が好きな人間なんだろうな。ただ電子の機械に魂を売って体を洗うのをめんどくさがって外に出れなくなってるだけで。

外に出たのは今日が試験日だからだった。勉強しなかったため全然できた気がしない。
大学に来てから本当に真面目に勉強することを忘れている。多分勉強が孤独で行う作業になったからなんだろうな。
ただ、院を考えているからには学問に真面目に向き合わなきゃならない。とにかく次の学期はなんとかしなければならないのだ。

やっぱり一緒に勉強する友達が必要な気がする。

日記は、日常生活のうちの少しのアウトプットとして本当にちょっとしか書かないつもりだ。いつの間にか入学から半年も立っていたこの期間を見つめて、少しでも何かし続けなければ地を這い続けて一生空の星を拝み憧れ続けて死ぬ運命だ。日記なんか書いたところで変わらないだろうが。少しでもアウトプットの脳でいる時間を増やしたい。流れていく1日のうちに、少しでも淀んだ時間が欲しい。

この日記も一年間も続けられたらやめてやりたいと思う。

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