肌が聴いている音。肌が発する音。肌が見てるもの。雰囲気、空気、気配、無意識に感じるものに耳を済ませる。肌感覚でわかるという言葉の具体性。

脳は脳。腸は脳。皮膚は脳。それぞれがそれぞれの持ち場で脳してる、仕事してる。細胞も仕事してる。環境とコミュニケーションしてる。「私」みたいに感じてるものがそれぞれの仕事を邪魔しないようにする。「私」の仕事はたくさんの仕事のいいとこを掬っていく。それくらいのものなのかも。

肌で自他の境界を知ることもあれば肌で自他の境界を交わらせ境界を溶かしあうこともある。肌感覚から目をとらえられればまぐわう(目合う)という言葉が生まれる体感に触れることもできる。接触と非接触の境界もありやなしや。触れども触らず、触らずとも触る。

肌が環境をゆるして多孔的な身体になる。多孔は多幸に通ずるか。自分で自分に触れるのはさながら猫にでもなったかのよう。触れる、ゆるすカラダになると離れていても触れることができるようになる。今は接触を控えなければならない時に触れずして触れることに気づくことはとても大きなことだった。

視覚のリズム、聴覚の景色、触覚の目と耳。

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