【中篇】かぞくあたま①
妻の介護もなかなかに難儀になってきていた。というのもこの人の病(やまい)は進行性のもので、良くはならず、治療法はその進行をできるだけ遅くするというものだけで、日々悪くなりつづけるというのは止めようがないのである。
私はある日、妻と話をしていてふと、お前を離縁して養女とし、あたらしく嫁をもらってお前と飛(トビ)助(スケ)(というのは私と妻のなした子)を養育するというのはどうだろう、と訊いてみた。妻は、悪くないかもしれない、というように頷いた。この人は病状が進行し、もう喋られなくなっているのである。意思疎通は主にLINE、スマホの音声アプリ、五十音表の指差し、また五十音表を元にしたナントカいう方法をもって行う、この方法は次に説明する。
たとえば妻がトイレに行きたかったとする。妻はまわらない口で「オ、オ、」と私によびかける。私は五十音表の行の頭を唱える。すなわち「あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ」という風に。妻はトイレと言いたいので「た」のところで頷く、あるいはまばたきをする、その姿はけなげで可憐である。そして私はつぎに「た行」を唱える。「た、ち、つ、て、と」と。そして妻は「と」のところで頷き、あるいはまばたく。この遣り取りを経て私は妻が「と」と言いたいのを理解し、二十年もいっしょに暮しているので阿(あ)、吽(うん)という具合に「トイレ」と言いたいのだなと分かるのである。そして妻をトイレに連れて行くのである。
私は昨年、体も心もすっかりまいってしまって、半年ばかり仕事を休み、妻の介護をしたり、ケアマネージャーに相談して介護の体制を整えたり、行政に色々な申請をしたりするかたわら、主に酒を飲んだり、『スプラトゥーン3』をしたり、横になって寝たりして過ごしていたのである。部屋の外に出るのも気が進まず、日が暮れてから外に出て、陋屋の周辺を少しばかり歩き、ちかくにある拝所の普天間(ふてんま)小(ぐわー)の前で手を合わせたりした。普天間小というのは普天間権現の発祥の地で、昔ここには美しい女人が住んでおり、理由はよく分からないが家に籠っていて、経緯はよく分からないが男たちに顔を見られ、それが嫌で首里桃原(とうばる)から普天間まで走っていき、普天間の洞窟で権現になったという伝説があった。
なんとなくこのまま仕事も辞めて社会から退(しりぞ)き、隠遁生活者のようになるかもしれないと、心細い気持ちでいたのであるが、訪問看護や介護ヘルパー等体制も整ったので新年度から仕事に復帰したのである。すると私は自分が元気になっていることに気づき、バリバリと働き出したのである。人生は思いもかけないようなことが起きる。打ちのめされ、まいってしまうこともある。そういうときには無理をせず、休んだほうがよい。私は身をもってそれを知ったのである。
仕事に復帰した私は人が変わったようにバリバリと働きだした。そして実は私は、この仕事が好きだったということに気づいたのである。私が実は、人と関わるのが好きなのだということも、このとき初めて分かったような感じなのだった。
とはいえ、何も常にバリバリと働いているわけではなかった、仕事というのは実に難儀なもので、難儀だから仕事なのである。いちにちの中でも元気なときがあり、また、まいっているときもある。
昼飯をすまして矢鱈と眠くなったり、忙しい仕事を前にして気が重かったりするとき、往々にして人は現実逃避をするもののようである。
真っ白い清潔なシーツが敷かれたベッドに伸び伸びと身体をのばし、あるいは身体を折り曲げて昏々と惰眠を貪るといったような空想をする。また、どこかに旅行に出ており、ホテルの近辺を何をするでもなくぶらぶらと歩く。人によっては海辺のホテルであったり、山間の温泉宿であったりするだろう。こういう空想もよくされるパターンのようだ。
私もまた布団にくるまっての惰眠や旅先での気ままな散策などに思いを馳せて苛烈な現実をやり過ごそうとしたりするが、また別のパターンで、生活拠点の近辺を散策し、色々なところで酒を飲んだりつまみを食べたりするという空想もよくするものである。
そういう時、脳は活発に動いているが首から下は何にも為さず、ただ机の前に座っているというだけで小一時間過ごすこともある。忙しい仕事があるのならそんなことしていないでさっさと仕事に取り掛かればよい、という意見も勿論あるだろう。全く正当で建設的なアドバイスといえよう。
しかし、この世の現象というものは、それはもう複雑であり微妙でありまた怪奇であり奇妙なものである。私は首里というところに結構長いこと棲んでいるが、この首里という町は丘陵台地状の土地の上に成立しており、この台地に貼りつくように人家がみっしりと廂を並べ、また、矢鱈大きな墓があちこちにあり、何かを新たに建設しようにもそもそも土地がもう無いという場所なのだった。
このように、確かにあれこれ考えるよりも先に手を動かした方がよいとはわかっていても、どうにもこうにも動かしようがない、如実的な行動が一切出来ずただ拱手して町並みを傍観するほかないといった時間も世の中にはあるようであった。
逃避した現実の中で私は、散歩のとき何か食べたくなってという風に、陋屋を出て首里の大中町、坂を上って池端町に出て行った。突き当たりの県道の信号を暫く待ち、渡るとそこは龍潭池があり、汀(みぎわ)を囲む木々の向こうには防塁を巡らせた城がある。城の正殿は先年突如起こった大火で焼失しており、現在は再建作業が進められている。正殿前の御庭(うなぁー)と正殿のあった場所にはそれぞれ境域を覆うように巨大なプレハブが建てられており、その内部で再建作業が行われているようであった。
ちなみに三十余年前、私が高校生の頃も大戦時に失われた城の再建に向けた工事が行われており、今見る景色と、あの頃見た景色とは大体同じもののようであった。
突き当たりの龍潭池を左に折れて、県道29号線の北東に足を向ける。当蔵(とうのくら)町のローソンで酒を購(もと)め、この時はオリオンビールの350粍(ミリ)リットルと、サントリーの角ハイボールの濃いめではないやつ、銀色の350粍(ミリ)リットルの缶を手に取り料金を支払ってエコバックに入れ、店を出て首里石鹸の店舗の先を左に入る。
静かな通りの右手には県立芸術大学の校舎があり、左手には同大学の図書館や講堂がある。やがて美ら島財団が管理する城趾の境域近くには師範学校跡地という石碑がある。
急な坂道を登り、右手にアカギの大木や園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)を見る頃、正面には守礼の門がある。そこを左に折れ、木挽門(こびきもん)に続く坂道を登り、門には入らず右に急峻な土手を登る。
城壁直下、少しくひらけた空間があり、そこにはベンチや塵芥捨て用の、石造の屑籠も設えている。かつては遊客らの喫煙に備えての設備もあったものだが、いつの頃からか健康増進法というものの影響もあるのか、喫煙者の管理は一箇所に集約したいものと見えて木挽門脇の設備は撤去され、城外のビジターセンターのレストランの屋外を奥に入った隔離所みたいな場所にのみ灰捨ては設置され、喫煙もそこでのみ許されているようであった。
現象はさまざまな理由で移り、変わっていってそこに暮らす人々に影響を与えてゆくが、今、非現実の世界に遊ぶ私にとっては細かいルール及びマナーの改定はまるで無かったもののようで、それで城壁の下のベンチに座を占めた私はひとまず口にくわえた煙草の先に火を移し、深く息を吸って煙を吐くのであった。しかし勿論携帯灰皿は用いるのであった。
眼下には那覇の街が広がっている。昔からの繁華街である国際通り付近には最近大型のホテルが次々と建設されていた。そのせいもあるだろう、宵の頃、遊客の腹もまた食事を求める頃合いになると、国際通りはまるで年に一度のお祭りとでもういうような盛大な人通りとなる。通りを歩く人種は、日本人、中国人、また韓国、台湾などの広汎な亜細亜圏の人々であり、また米人もあれば欧人の姿もある。
勿論、これは新型コロナが世界を騒がせる以前の風景であり、また最近、復活しつつある那覇の描写でもある。COVID19(新型コロナ)は私の暮らす首里にも大打撃を与え、一時は町自体が死んだようになり、商売を為す家はその看板の新旧を問わずあちらは元々抱えていた後継者不足や、こちらはのっぴきならない経済的な事由から次々と店をたたんだものである。
ハイボールの栓を抜き一口二口、また三口と杯を重ねる。季節は新暦の重陽を三週ばかり過ぎて、もうすぐ旧暦の八月十五夜を迎えようとしているある日の昼下がりである(幻想世界においての話である)
先ほど酒と一緒にローソンで購めたレトルトパウチの袋を引き裂き、割り箸で摘んだメンマを口に運ぶ。那覇の上空にはひつじ雲が遠く慶良間諸島の方に続き、高く吹いている風が城壁に当たってこちらの方に降りてくる。アカギの葉が音も無く葉裏をこちらに見せ竜舌蘭が向こうの岩の上に濃い影を落としている。
これから何をしようかと考える。ここからほど近くの造酒屋でクラフトビールを飲むもよし、そば屋でそばを食うもよし、あるいはまたポケットの小銭を取り出してカレーを頼むのもよし。県道をバスに乗り那覇に出て小ぶりの餃子を前に瓶ビールを傾けるのも悪くないし地下の喫茶店でミントティーを啜るのでもいい。
何も酒ばかり飲むのが能というものでもない。時間が時間だけに餃子屋はまだ営業していないだろう。とはいえ、那覇にまで出れば、望むものは大体何でも揃っている。寿司もあるし鰻もある、ハンバーガーショップもあるし日本蕎麦だって食える、牛丼もあるしラーメンもある。
こういうのは考えている時が一番楽しい。入った居酒屋で開いたメニューを眺め、また黒板の品書きに目を凝らし、演繹的につまみの組み立てをあーでもないこーでもないと自分を相手にじっくりと話をする時間に似ているようではある。しかし、似ているようではあるが、実相は全然違う。
非現実の世界での遊びにおいて選択肢は無限にある。
無限にあるので何もかもが思うがままで、ほしいがままである。だから、そこに必然的に現れてくるのは快楽の限界である。己の変えられない姿形の描線のようにそこには自己のかたちが明白に線を引かれるような気がする。
その線は寂しい感じがする。限界を目のまえに突きつけられ、己が己を嘲笑うかのような気さえする。無限の世界に放り込まれたとき、人はその人の限界を知るのかもしれない。しかし本当に知ることはできないようで、人は寂しいその描線をはっきり見ることを本能的に厭う。人は無限の中で、有限であることに耐えられる存在ではないようである。
一方、居酒屋のメニューには、たぬき豆腐だの肉豆腐だの、豆腐チャンプルーなどといったメニューが並び、店によって品数はまちまちだが、いずれにしても数には限りがある。その中から私たちは、あれがいいこれがいい、順番はこうしたほうがいい、何か漬け物的なものはないのかなどと頭を悩ませながら注文をするのである。飲み物食べ物、中にはデザートといった物まであり、品数に限りはあれどその組み合わせは無限のようである。楽しみとしてはこちらの方が人間的で、私たちには分かり易いようである。
煙草の煙はゆらゆらと紫だちて城壁の遥か上空、澄んだ青とひつじ雲を背景に風に吹かれて消えてゆく。私はかれこれ二十七八年煙草を吸っている。
先年喫煙の習慣を休止し、約一年吸うのを止めていたが、今年の五月からまた吸い始めている。休止期間を経て分かったことだが、煙草には吸い方というものがある、それに気づいたのはつい先日のことである。
煙草を吸うときは、兎に角煙草を吸うという行為だけをするべきである。スマホなどは見てはいけない。耳にイヤフォンなどが入っていたら、これは取り外す。時々、この人は煙草を吸っているのか、スマホを操作して何やらの情報を探しているのか、あるいは耳に入れたイヤフォンで何かを聴いているのか、今自分のやっていることが何なのか分かっていないという風に煙草を吸う人がいるが、勿体ないなと見て思う。
煙草を吸っているとき、口には断続的に煙草の吸い口が差し込まれる、そして鼻の穴や口から煙が吐き出される、そのとき眼はどうするのかというと、目の前にある個々一切事を見ようとするのである。たとえば街路樹の根元には近所の人が端正した花が咲いている、風に吹かれて煙草のけむりがその花や県道や建屋や天空を背景に流れ、消えてゆく、その先までしっかり見ようとするのである。
耳には車の走る音、学校から帰る子ども達の笑い声、あるいは鳥の啼く声が入ってくる。
日が落ちれば、私の目は月を探す、仕事帰りの人たちが駅の方から歩いて来る、老人は杖をついてヨボヨボと歩を進める。それら数多(あまた)の情報の中に、ただ中に、ただ存在するよう努めるのである。何も難しいことは考えない。というかできるだけ何も考えないようにする。
そしてただ見て、ただ聞いて、然る後(のち)に、ただ只管(ひたすら)に煙草を吸うのである。これは我ながら極意を会得したといってもいいと思う。しかし道を行き交う人の、スマホを見ている姿の多いことよ。
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