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【中編】トゥンジュムイの遠い空①

霊たちのために


 現在、那覇市首里と呼ばれる地域は戦前は首里市であり、いくつかの集落で構成されていた。首里城を中心に、真和志、池端、山川、金城、寒川というように。また大中、桃原、当蔵、儀保、赤平、汀良、久場川などという集落があった。石嶺や大名、平良や末吉は明治になって首里に編入されたという。

 そういったいくつかの集落の一つ、現在でいう首里鳥堀町は、那覇市の最高点である弁ヶ嶽を擁する周縁の地であった。また、鳥小堀(トゥンジュムイ)、赤田、崎山と合わせての三集落は、首里三箇(さんか)と呼ばれ、王府に泡盛製造が許可された地域として知られていた。

 以下の物語は第二次大戦時下の鳥堀町(トゥンジュムイ)を舞台とする。主人公は、個人的な性向及び家庭環境、あるいは特性によって社会的に孤立する男性である。主に米軍が沖縄本島に上陸する前を描き、いよいよ戦火が首里に及ぶ頃が終盤となる。時間軸は歴史的事実に準拠しているが、語られる話は全てフィクションである。人名に関しては、筆者の親族からその名をお借りしている。その人々は現在全て鬼籍に入っておられる。作中のキャラクターとその名には全く関連性はないことを断っておく。名を借りた経緯はひとえに筆者の創作力の低さに由来する。

 また、本稿は富岡多恵子「遠い空」を下敷きとしている。性交に関する描写は引用または文章を改変して使用している。その他引用・参考文献に関しては稿の末尾にこれを記す。

 過去があって現在がある。先人の方々の努力に深く感謝する。

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 トゥンジュムイは弁ヶ嶽を水源とする細かい水の流れが集落内を網の目のように走っており、あちこちに大小の池沼をかかえた湿泥地である。そのため春も秋も問わず、湿気が常に辺りを重苦しく覆っている土地であった。これは現在も変わらない現象で、戦前からある弁ヶ嶽が変わらずそこにあるように、湿った空気は変わらず那覇の最頂点のこの土地の空にある。

 男はトゥンジュムイに生まれ、この土地で育った人であった。生家は貧しかった。プーンという蚊の羽音が身辺にあった。蚊の翅の羽ばたきが耳元ですれば、それを手で払うのが人情であろう。また、湿気や虫に苛まれていては、そこに住む人の心は落ち着かないだろう。トゥンジュムイに暮らす人びとは話をさせるとどことなく語気が強く、振る舞いも荒っぽい者が多いような感じであった。

 男の父は造酒の家で下働きをしており、母は近所の御用聞きをして小銭を得ていた。その家は、元より土地や財産には無縁で、収入よりも常に出費が多いというような経済状況であった。とはいえ、両親が揃っているこの時期が、男にとっては常にもっとも懐かしい思い出であった。

 男が十六の時、父親が脳梗塞で呆気なく死ぬと家計は火の車となった。この頃男は父親と同じ造酒屋で働いていたが、見習いに毛が生えたような地位から中々向上せず、雑用ばかりをさせられ給金も低かった。下の妹二人は小学校を三年で出て、母親と同じような近所の雑用をして小銭を稼いではいたものの、当時十二歳、九歳の子どもの女の労働で各自の糊口を凌ぐとはとてもいかなかった。

 夫の死後、母親は那覇に通って何かの仕事をするようになったが、二、三年が経ったある日、家に帰って来なかった。それからは音信不通となった。この母は顔は十人前だが大柄で、少しばかり人目を引くような男好きのする体つきをしていた。ジンムッチャー(金持ち)の老人の妾になったとか、悪い男と一緒になったとかの噂がされていた。

 母の失踪後、この母の妹の石嶺在の叔母が時々やって来て甥姪の世話を焼いた。その甲斐があってかやがて妹二人は長女は那覇に、次女は浦添に嫁に行き、それぞれ彼の地で子供も産んだ。

 十五年ばかりの月日が流れた。男は変わらずトゥンジュムイの、弁ヶ嶽の麓、草いきれのムッとする小屋に一人起居していた。仕事は中々芽が出ず、というよりも全然ダメで、相変わらずの雑用係であった。さらには太平洋戦争の末期ともなると、酒を作っている時節ではないという社会情勢ともなり、日当で暮らす男にとっては時間を持て余し、ひもじい腹を満たす方途が全く塞がり、日がな小屋の中で横になっているというような日も増えているのであった。

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