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北の臨床研修病院、英語を立て直す

【前回までのあらすじ】色々あって、初期研修をした北の大地にある総合病院で「臨床研究・治験推進室」と「臨床研修部」兼務になった医師7年目の春。当院初の非臨床常勤医師として様々な隙間産業に挑む日々を綴る。

日本の病院がアメリカの病院と連携するまで

1000%特定可能になってしまうが、当院は2022年度からアメリカのとある医学部附属病院と提携契約を結んだ。(提携までの経緯はボスが書いた記事をご覧頂きたい。なお私は研修部長のことをこっそりボスと呼んでいるが本人には内緒だ)

私が初期研修医だった頃、当院はアメリカの異なる大学病院と連携をしていたが、あまり日常的な交流の記憶がない。その大学病院とは直接関係のない常勤の外国人医師が常に院内にいて、レクチャーを行ったり一緒に患者さんを診たりして、英語に接する機会が日常的にある環境ではあった。
おかげで英語力を維持して初期研修を終えることができたが、自分の臨床能力が果たしてどれくらいその経験で向上したかはよくわからなかった。

海外から来ている医師は、一部特別措置もあるものの、日本の医師国家試験を合格しない限り日本で医療行為はできない。そのため、数年日本に滞在しているとそれだけ臨床能力は低下してしまい、英語「だけ」教えるひとになってしまうということが指摘されていた。

コロナ禍で一度完全に外国人医師の出入りができなくなり、前の大学病院との提携も終了して、私がちょうど当院にいなかった時期は大幅に研修医が英語に接する機会が減ったと聞いていた。そして私が復職した2022年春に、新たに今の提携先と契約を結び、当院の英語教育は一度リセットされるはこびとなった。

アメリカの大学病院と提携する目的は、ボス曰く「当院における英語臨床教育の刷新と、それによって国を問わず社会への貢献を成し遂げる医療人材を輩出し続ける教育病院を目指すこと」だ(先述の記事から丸パクリした)。

その中で、現在のところ私の仕事は、向こうから来る医師の来日のコーディネートから研修医の英語カリキュラムの整備まで様々だ。
前例が無いことばかりで模索ばかりしているような日々だが、研修医の成長も自らの学びもまっすぐに感じられる、楽しくてやり甲斐のある仕事だと思う。

日本の研修病院で英語教育を行う上での課題

しかし、まだ私の中で答えのない問いがある。
「果たして初期研修で英語をそこまでがんばる必要はあるのか。」

事実、新年度に医師2年目となった研修医たちにアンケートをとったところ、18人中2名が「英語のモチベーションは下がった」と応えていた。

今後ずっと日本で働くのであれば、論文が流し読みできて、学会でポスター発表できる程度の英語力が徐々に培うことができれば十分なのではないか。
ただでさえ乗り切ることが難しい初期研修の2年間、英語を追加でがんばる必要があるのか。その目的はどこにあるのか。

英語でプレゼンができるようになって、何だというのか。
当院では来年度から選択ローテーションとして提携先のアメリカにある大学病院に一ヶ月見学に行けるようになる。将来、日本で働く可能性が高い研修医たちは、何を目標に渡米し、決して短くない期間で何を得て帰ってくれば「成功」なのか。

この問いに病院管理者と指導医、そして研修医一人ひとりが答えられないままでは、当院の教育はよくならないと思っている。

若手教育者の暫定的な答え

私がアメリカの大学病院との提携で得たかけがえのないものの一つに、向こうのカウンターパート(歳や立場が近い)に出会えたことがある。
彼は一ヶ月ずつ計2回、診療を休んで来日してくれ、研修医たちと毎日時間を惜しまず交流し、教育活動に取り組んでくれた。

彼や他の指導医たちと対話を続ける中で、「他言語で考え、アウトプットすることで得られる教育効果」に着目するようになった。
また、「他文化に触れ、配慮すること」も重要な学びだと気付いた。
このあたりについては更に観察と分析を深め、いずれ発表したい。

そして、渦中にいる研修医には、やらされている感なく、私たちが用意した環境で大活躍して欲しい。
英語は必須ではないからね。

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