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母が駆け抜けた 東京のある時代

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10年ほど連絡をしていなかった母と再会し、彼女からさまざまな話を聞き書きするnoteです
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スペイン語を勉強していたわけ

物心ついた頃、ラジオからスペイン語講座が流れていた。それが何故か、聞くのも野暮なくらい、当たり前のようにスペイン語とスペインの音楽が流れていた。 無意識のヒアリング体験を重ねたおかげで私は突然何かの拍子でスペインの地に放り込まれても何故か言葉が理解できるような気になっている。 そんな冗談はさておき、この機会に何故スペイン語にあんなにどっぷり浸かっていたのか、母に訊いてみた。 「ポルトガルの大使館で、お手伝いさんを探しているという話が高校の担任のところに来て。当時から真面目

原宿・神宮前に住んでいた頃の話

「この団地(つまり私の実家)が当たるまでは、原宿警察※の裏にあった月4000円の四畳半のアパートに住んでいたの。昭和40年代の初め頃。」 そう聞いた時、なるほどと思った。大学時代、幾度となく都バスで渋谷・原宿に通い、途中下車して散歩したり、買い物したりする中で何故か、あのあたりを歩くとフッと懐かしい感じがしたから。 明治神宮の一番北の入り口や代々木駅に程近く今は北参道の駅があるあたり。そのアパートは山手線の線路のすぐ近くだったみたいだが、今はアパレル企業の真新しいビルが建っ

10年会っていなかった母と再会した

2021年秋、日々の生活のタスク全てがパンクして身体が動かなくなり、働けなくなってしまった。 離婚して東京に出戻って15年。父が亡くなって10年。 父がいなくなった後、折り合いの悪い母や弟とは疎遠となり、拠り所のない不安を持ちながらも、仕事はバリバリやり、転職でキャリアを広げ、ユニークで才能豊かな友人に囲まれて30代、40代は自立し充実した日々を過ごしていた。 そこにコロナ禍。 2年間積み重なったストレスでパンクし休職。やっとできた自由時間に本能的に足が向いたのは、1