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傑作との出会いもタイミング次第

今日から、また毎日更新をしようと思う。長い大学生の春休みが始まったからだ。大学生の春休み、なんてすばらしい響き。朝は11時に起きて、ご飯を食べて、惰性でスマホをいじって16時になってしまい、「ああまた今日が終わってしまう」と絶望する。人生のモラトリアム。それが大学生の春休みである。昨日はまさにそんな感じで、その後17時から21時までバイトをして、疲れて帰ってきてそのまま恋人と通話しながら寝てしまった。しかし今日は8時には起きて図書館へ行き、弊学の卒業制作展を見てきたところだ。私にとって卒業制作はまだ先の話なので、一丁前に心の中でああでもないこうでもないと、批評のまねごとをしながら鑑賞していた。卒業制作展には全学科の卒業生の作品が一堂に会す。タブローも映像も立体も全部を1日に見る事ができるので、普段見ない形式の作品を見て、意外に楽しんでいる自分を発見する。今年は映像系が特に面白いと感じた。また、言葉を使って表現している作品や、フェミニズムを基盤にしている作品に自然と目が留まった。作品を鑑賞してどれだけ感動できるかは、鑑賞者の考えていることやその時の状況に大きく依存する。今の私はそれらの作品を受け入れやすい状態のようだ。相変わらず抽象絵画はよくわからないが、抽象絵画はなんだか少なくなっているような感じがした。みんな何かしら説明可能なテーマのもとでやっている。その中で、地味でかつ説明のない作品は、素通りされていく。それは当たり前のようで当たり前ではない。それは明らかに無視なので。卒業制作展という、雑然と空間に作品が詰め込まれるという形式では、その作品の声は届きづらくなってしまうのかもしれない。「これは個展として、ギャラリーで見たいな」という作品はいくつかあった。

最近は、登録していながらあまり生かせていなかったアマゾンプライムで、ちゃんと元を取ろうと思い立って、映画やアニメをよく見ている。中でも面白かったのは『少女革命ウテナ』である。少女革命ウテナは、1997年に放送されたアニメシリーズで、全39話。監督は『輪るピングドラム』などでも有名な幾原邦彦だ。男装の麗人モノで、主人公がなんか白馬に乗っているということだけをぼんやりと知っていて、ただオススメに上がって来たので見ただけである。最初の5話くらいは話がつかめず、飽きてしまって他の作品を見たりもしていた。しかし6話がハチャメチャなギャグ回で、そのぶっとび具合に心を掴まれてしまった。そこからは癖の強いキャラクターたちの複雑な過去や家族関係が明かされていき、主人公・ウテナの男装がストーリーの中で”効いて”くる。10話くらいから続きが気になってやめられなくなり、2日くらいで一気見した。『少女革命ウテナ』のストーリーは難解でメタファーに満ちているうえ、後半につれ過剰演出になっていくため、「???」の状態のまま「ま、こういうもんか…」と受け入れられないと、見続けることは難しい。多くの謎は最後まで解けないからだ。もともと理屈っぽい私だが、なぜかこの作品は最後まで没入して観ることができた。それは、ウテナの気持ち、制作側の主張に共感することができたからだろう。この作品では、男装の麗人、お姫様を守る王子様であるウテナが、「普通の女の子(=お姫様)」である自分とのギャップに葛藤する様子がキチンと描かれる。深くは語らないが性描写も多いアニメである。少女革命ウテナの思想には、フェミニズムの思想に近いところがあるのだ。これが、私がこの作品を受け止められた理由だ。

作品とは思想の塊である。作品と相対するのは、その作者とも相対しているに等しい。生きていると、どうしても受け入れがたい人間はいる。前は受け入れられなかったけど、ちょっとしたきっかけで受け入れられるようになることもある。同じように、作品との出会いにも、相性やその時の気分が影響するのだ。

うまくまとまったので、今日はこんなところで。


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