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街を覗く

ここ数年、YouTubeで街を覗くことにハマっています。

YouTubeで、「〇〇(街名) walk」とかで検索すると、各国・各街の様子を撮った散歩動画がでてきます。

散歩動画の内容は、街の風景を写しているだけと超シンプル。

だいたい主観になっていて、撮影者が映ることはありません。

人によっては、なんでそんな動画見るの?って思ってしまうような映像を、僕はじっーーと見ています。

飽きるまで見ます。
長い時は、1時間近くぼーっと見ています。

街を覗きこんでいると、僕が住んでいる街からちょっと離れている街には、こんな街があって、こんな人たちがいるんだ!って実感することができて、なんだかワクワクするんです。

"街を覗くのが趣味"と言うと、引かれそうで知り合いには一度も言ったことがないんですが、世間的にはどうなんでしょうか。

街覗き人間は、どのくらい存在するんだろうか。

てか街覗きって変態のカテゴリーじゃないよね?

変なモノはみてませんからね。
あくまで街です、街。

最近、僕のnoteが奇行告白記事ばかりになってますね…

でも、書き始めてしまったので、最後まで書きます。

・・・

YouTubeで街を覗き始めたきっかけは、「あの街のあの建物って今どうなってるんだろう?」とふと疑問に思ったことが始まりだったと思います。

最初はGoogleマップのストリートビューで探したんですけど、角度が悪くて、あまり良く分からなかったので、YouTubeで検索した記憶があります。

そこから、じゃああの街は今どうなってるんだろ?ってどんどん興味が湧いてきて、最初は行ったことある街を覗いてたのですが、現在は行ったこともない街も覗いています。

行ったこともない街の、あの角にはあの店があると把握しているという不思議な状態です。

世界中の街の状態を完璧に覚えてしまうのも、時間の問題だと思います。

部屋にいながら覚えてしまったよ!なんて、コロンブスや伊能忠敬には口が裂けても言えません。

・・・

街覗きも続けていると、色んな好みがでてきます。

例えば、撮影スタイルの好みです。

撮影者によって、歩くのが早すぎ、遅すぎる、突然喋り始めるなど色々あります。

突然喋り始めるは、個人的に最悪です。

黙って歩け!!と思ってしまいます。
わざわざ動画を見にいっといて、非常に失礼なんですけど。

あとは、街の好みね。

彼此、色んな街を覗いてきましたが、やっぱり好き嫌いは出てきます。

ちなみに最近ハマっているのは、タイのバンコク。

どの場所も、だいたいカオスで面白い。

気に入った街や通りがでてくれば、何度も繰り返し覗いています。

といっても、同じ動画を繰り返し見るわけではありません。

同じ街の同じ通りでも、YouTubeには、ほぼ毎日違う人が撮影した動画が更新、投稿されます。

これが結構面白くて(個人的に)、同じ街の同じ通りでも、1日違うだけでちょっと街の様子が変わるんですよ。

そんな違いを楽しみつつ、ぼーっと街を覗いています。

再確認ですが、これ変態行為じゃないよね??
ちょっと書いてて心配になってきたぞ。

・・・

話は変わるんですが、僕には、自分の部屋のベランダから景色を撮るという習慣があります。

きっかけは覚えていないんですが、ベランダから景色をなんとなく撮ったある日から、気が向いた時に同じ画角で写真を撮り続けています。

画像フォルダには、すでに100枚近く同じ景色を撮った写真が保存されています。

うっかり奇行告白に奇行告白を重ねてしまいましたが、続けます。

これも結構面白くて(個人的に:2回目)、全く同じ景色のように思えて、全部ちょっとずつ違うんですよ。

日によって、通りに車が止まっていたり、公園に人がいたりね。

全く同じ景色だと思い込んでいても、記録に残して振り返ってみると、どこかしら必ず違いがあ?んです。

これってすごく面白いなと思います。(個人的に:3回目)

時間を超超超遡ると、僕のベランダから見える景色と同じ場所で、原始人がマンモス追いかけ回してたかもしれないし、恐竜が暴れまわっていたかもしれない訳です。

その気の遠くなるような昔から、いきなり現代ような景色に変化した訳ではなくて、僕達と同じように1日1日のちょっとした変化が重ねて、今日にたどり着いています。

きっと原始人も、人類はマンモスを追いかけ回し続ける日々を繰り返して生きると思っていたでしょう。

1日1日を当たり前のように重ね続けた先に、宇宙に行けてしまう日が来るなんて思ってなかったはずです。

これは、原始人だけの話じゃありません。

僕らの当たり前のように過ごしている1日1日も、最終的には誰も想像もしないような未来に繋がっているはずです。

そう考えると、僕らの平凡で何の変哲もない1日も、いつかのとんでもない未来に到達するための、大切な1日なのかもしれません。



…そんなことを考えながら、僕は今日もぼーーっと街を覗いています。


以上です。ありがとうございました。