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チェンソーマン2部は何故イマイチなのか?

この問題に関して理由はかなり明確だ。

というのも2部には1部のよさが欠けているから。

そもそもじゃあチェンソーマン1部の面白さとはどんなところがあったのかを考えていく。

思い返すにチェンソーマンというのはかなり独特な魅力がある。
新人漫画家に藤本タツキフォロワーが多く、彼の作風をコピーしている人も多数という話も聞く。

何故それほど多くの漫画家志望を惹きつけているのかというと、おそらく藤本タツキが「絵で説明すること」に拘っているからだと思う。

漫画というのは基本的に絵で説明できることは全て絵で説明するべき、という暗黙のルールが存在している。(少なくとも作り手側には)

もちろんそれを守ったら絶対面白くなるわけではないし、守らなくても面白い作品はいくらでもある。

ただ漫画家は往々にして絵だけで説明された作品を生み出そうとする。

チェンソーマンにおいてはほとんどナレーションなどは無く、ほとんどが劇中人物の言動のみで構成されている。

例えばマキマが終盤、その支配の悪魔としての能力で武器人間たちを従えてくるのだが、彼らがどういう存在でどういう過去でマキマの傘下に収められたかはレゼやサムライソードの存在でくどくど文章で説明されずとも理解できる。

他にも『地獄』の描き方や闇の悪魔の演出、アキの夢の世界と現実を絡めた悲しい戦いの演出など藤本タツキは卓越した表現力と呼べるものを有している。それに若き漫画家の卵たちは魅了されているわけだ。

そしてこの表現力、言い換えるなら漫画力だが、悲しいことにこの第二部ではうまく発揮されていない。

ではその発揮されない理由として具体的に何があるのかと言うと、以下のような事象が絡み合っているのだと推測する。

1.キャラクターの弱さ
正直ヨルやアサのキャラ性は凡百の作品においては明確に際立ったキャラに感じるだろうが、第一部におけるデンジ・パワー・マキマなどを見ていると力不足に思えてしまう。特にデンジが主人公から降格してしまったのはかなり痛手であり、彼はチェンソーマンの面白さの屋台骨を担っていた存在だったのだ。
何故彼が必要なのかは次の項目と合わせて説明する。

2.ストーリーの起伏の弱さ
チェンソーマンの面白さの一つとしてかなりハードなストーリー展開がある。作者である藤本タツキはおそらくエヴァのファンであることは間違いない。(これはツイッターでも暗にそうにおわせている)

そしてここからは個人的な勘だがタツキはエヴァのストーリー展開もかなり参考にしているのではないかということ。

そう感じた理由は終盤の怒濤の流れだった。仲間や家族であるアキやパワーが死に、マキマに裏切られ孤独になり、精神が追い詰められていく流れが旧エヴァンゲリオンの終盤を彷彿とさせたからだ。

しかし二つの作品には明確な差異がある。これこそ先ほど述べた重要な「主人公」その差だ。デンジは追い詰められながらボロボロになりながらも、どことなく悲痛さを感じない。エヴァのシンジはもう見ているのが辛くなるくらいだが、デンジの場合は明るくて少しバカなところがあるから見ていてもなんとかなるんじゃ無いかという気持ちになる。

話がそれたが、つまりチェンソーマンとは「かなりえげつない鬱展開を繰り広げつつも、しかし主人公のデンジの楽観的な人間性からそれが緩和されて読みやすく、そして鬱展開独特のハードな面白さも併存している」という希有な魅力を有していたのだ。

だが第二部においては主人公が代わってしまい、ハードで起伏のある展開は数を減らし、これまでの面白さを発揮できていない状況にある。
これはドラマ不足と述べてもいいかもしれない。

大きく分けてこの二つの問題に第二部のイマイチな感じの根源があるのでは無いかとにらんでいる。

とはいえ第二部も自分はかなり好きだし、火曜日の夜はジャンプラに待機してるんですけどね。

ただ全盛期のあの面白さに今後近づけるかはかなり怪しいなぁと思っています。



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