絵本ゼミ(第2回目)
コールデコット賞を受賞した本を探して
絵本ゼミには、毎回事前学習と宿題があり、最終アウトプットは北海道の層雲峡でのグループ発表という、かなりのスパルタである。
第2回目のゼミに向けての宿題は、コールデコット賞受賞作の中から好きな本を選んでその本を紹介するというものだった。
私は、ざっと検索して受賞作一覧の中から「ちいさい おうち」を見つけ、子どもの頃に読んだ懐かしさを選書の理由として事前学習のグループに伝えた。
第2回目のゼミ当日はリアルタイムでの参加はできなかったが、アーカイブで視聴させていただいたミッキー先生のお話には、どんぴしゃで「ちいさい おうち」についての解説があり、感動だった。
子どものころになぜこの本に惹かれたのかなんて、私には説明できない。それがミッキー先生の解説で、惹かれた理由がすとんと腑に落ちた。
それはそれは奥深い話だった。
ちいさいおうちは変わらないけれど、そのまわりの時の流れを1日、1ヶ月、季節、1年、そして何年、何十年、何世代もの時間・・・と、時の流れが書かれていること。
表紙には小さく〝HER STORY”と書かれていること。
同じ作者がスミソニアン博物館に通い詰めて「せいめいのれきし」を絵本に創り上げたこと。
「ちいさいおうち」に描かれている「時」は、リニアな一直線と円だが、「せいめいのれきし」ではらせん状で「時」が描かれていること。
絵本の世界おそるべし! ミッキー先生の話に聞き入ってしまった。
岩波の子どもの本シリーズとの再会
「ちいさいおうち」は図書館で見つけて、まだこの本があったことに感激したのだが、絵本ゼミ第2回目の講義を受けて、「ちいさいおうち」と「せいめいのれきし」を購入しようとamazonを検索した。
なんと、「ちいさいおうち」は、「岩波の子どもの本」の第1巻として出版されていたものだと知った。
何ということだろう。私は岩波の子どもの本のほぼすべてになじみがあった。
カトリック教会の伝道師としてアメリカ人神父につかえていた父と、子だくさんの若い母は、とても貧しくつつましく、それでもとても幸せそうだった。
あろうことか、子どもたちにはこんな贅沢をさせてくれていたのだ。
長じて親との確執に苦しんできた私の記憶は、つらい思い出に埋め尽くされていたが、そんなかたくなな私の心が氷解。幼い子どもたちを一生懸命育ててくれた親の記憶があふれ出したのだ。
遠くへ遠くへと離れたつもりだった親とらせん状で近づき、遠くへ遠くへと離れていく子どもたちとも、いつかこんな時が来ると信じられる気がした。
絵本ゼミのグループ学習で共有したこと
絵本ゼミでは、参加者がグループに分かれて学びを共有する時間も、とても楽しい。
第3回目のゼミに向けて、私たちのグループは第2回目のレポートと次回の宿題のことや8月のグループ発表について話し合った。
最終回では、みんなで絵本をつくって発表するってのも楽しいよね。その絵本で賞が取れれば、な~んて!
そんなふうに発案された方の言葉に動かされ、つい私は、みんなに願い出てしまった。
もしも可能なら、昔つくった絵本「なかのりさん、ありがとう」を、子どもに伝わるような絵本にリメイクしたい。それをみんなに手伝ってもらいたい、と。
食となる命と向き合う牛さんと農家さんの物語なのだが、トラックに乗せられて出荷される牛を、お別れの日に絵に描いてくれた子どもたちの絵と、リアルな写真で絵本にまとめ、時代と共に翻弄された畜産業の変遷や、牛の誕生から出荷されるまでの姿を伝えたものである。
らせん状に延々とつながる時間と命のことを、食の循環と感謝の循環でも表現できればどんなに素晴らしいだろう。小さな野望が生まれてしまった。
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