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ミッキー絵本ゼミ第4期 第1回目


絵本の世界の深淵さ

うっかり飛び込んでしまった絵本ゼミ3期は、「賞」を得た絵本の評価がどんなところにあるかをオンライン講座4回で学び、最終回の5回目を北海道上川町層雲峡で。最終回は、リアル講座と各チームの研究発表だった。
リアル講座の特別講師は、写真家の佐藤圭さん。
なんと! 次男の良き伴侶で、私の創設した保育園の園長をしてくれている旭川出身のお嫁ちゃん「えんちゃん」と佐藤圭さんはサーフィン仲間だった。 
圭さんには、自然体で良き仕事のできる「えんちゃん」と同じ匂いを感じたのだが、つながっていた~~!
この二人の(元)サーファーの共通の魅力は、自然への畏敬の念と圧倒的な美を知っている人の、誰にも媚びないカッコよさかな、なんて思ったりした。

3期の講座の3回目までは何とか振り返りをこのnoteに書いたが、4回目と5回目はまだ書けずにいる。
あまりにも濃い内容と学びだったため、めまいに襲われるような感覚になり、底知れない絵本の世界に立ち入りかねている、というのが本音だ。
3期の学びは振り返るだけでも一生かかりそうなボリュームなのだ。

それなのに、またひょんなことから、4期目にも参加するという事態となってしまった。こうなったらもう、しっかりと向き合うしかない。
とはいえ、そこは脱力系を旨として、タイミングに任せて出会えた学びを、ほんの少しでも自身の成長の糧にしていこうと思う。
今朝、末娘に勧められて読んだ内田樹先生の言葉を借りるなら、無限の知に慎ましく礼儀正しく向かい合って、ほんの少しでも謙虚に学んでいければと思う。
無邪気に参加した3期と今回の4期の違いは、絵本の世界の深淵さの前で、「”恐るべき無知”に戦慄する感覚・・・」なのだ。

好きな絵本での自己紹介

私は、3期のチーム発表で他のチームの方が紹介されていた「星の使者」を入手し、その本で4期第1回目の自己紹介をした。

絵本ゼミ4期の第1回で、自己紹介を兼ねて紹介した翻訳絵本

地動説を唱えてカトリック教会から破門されたガリレオ・ガリレイの生涯が書かれた絵本だが、難しい天文学の歴史を、絵の魅力と手書き文字もふんだんに添えて、淡々と記述されている。
コペルニクスから90年後に、危険思想の地動説を受けついで有罪となったガリレオ。ガリレオの破門が解かれるのは、ガリレオの死後350年後の1992年のことだ。
この絵本には、そういう悲惨な現実と、コぺルニクスやガリレオの先達が、教会に従わず厳しい拷問や罰を受けてきた事実もさらりと書かれている。

地球が動いていることで、宇宙の星々の見事な調和という真実を発見した人たちは、神のつくられたこの世界が、どれほど美しいものか、それに気づき、説を曲げずに迫害の中で生きていけたのだろうと思う。

「星の使者」の絵本のことを熱く語る私に、我が家にホームステイ中の若い農業女子が、魚豊の作品「ち。」(小学館発行全8巻)を紹介してくれた。
大人の絵本?とも言える?この名作マンガも一挙に読んでしまった。

「この世のすばらしさ、命の不思議と美しさ」に魅せられた人たちが、見返りの少ないどころか大変な苦難を伴う、子育てや農業、介護や看護という、報われない仕事をする人を支えているのではないか。
そんなこともブレイクアウトルームでの感想として添えた。

子どもを観察すること

文字をもたない幼い子どもは、耳で聞き、目で見る。
こどもが時間の概念を理解できるのは、10歳ごろから。

そんなことにハッとさせられたのが4期第1回目でミッキー先生の講義で学んだことだった。
幼い子どもたちは、絵本の主人公になりきって物語を楽しみ、空想の世界で広い世界へ冒険に出かけられる。
それを絵本は、絵と読み手の声で手助けしてあげられるのだ。

気の遠くなるほど果てしない未来に向かって今を生きている幼い子どもには、時間の概念がなく、過去と未来がつながらず、「今」しかないということも、改めて理解できた。
私自身が幼いころ、「ちいさいおうち」に心奪われたことを懐かしく思い出しながら、絵本の深淵さにたじろいだ。
作者のヴァージニア・リー・バートンも、翻訳者の石井桃子も、凄すぎる。
きっと子どもたちへの思いが、天からのエネルギーを受信して、このような作品や翻訳が出来上がるのだろうと思う。

孫娘から教えられた「ありがとう」について

この夏、私は7歳の孫娘を預り、2週間を共に過ごした。
エネルギーの塊のような、何の忖度もない「今」がすべての孫娘。

私の主宰する子どもの居場所事業で、「グラレコ」のワークショップが開催されたので、孫娘も参加させたのだが、ここで、事件が起こった。

様々な人の気持ちを表す顔を、目と口の組み合わせでたくさん書いてみた後、二人ペアで「ありがとう」と最近思った出来事を思い出して、その時の顔をし、その「ありがとう」という思いの顔を互いに描きあうというワーク。
とても面白いステキな企画だったのだが、孫娘が、突然私のところに連れてこられた。孫娘をフォローしていたスタッフが、「この子は、ありがとう、という気持ちになったことを思い出せない、と言うてはります」と匙を投げて、孫娘を私に託したのだ。

え? 飛行機におばあちゃんと一緒に乗ったよね。ディズニーランドにも行ったよね。浴衣を着てお祭りにも行ったし、吉本のお笑い芸人にも会ったし、おいしいものも食べたし…。いっぱい、「ありがとう」って思いだせるんじゃない?

孫娘は、そんな問いかけに対してかたくなに首を横に振り、「やった~! とは思ったけれど、ありがとう、とは思ってない」と困った顔で主張するばかり。

へとへとになった私の夏を返せ! と言いたい気持ちで「じゃ、もういいは。」と、その場は不機嫌を押し隠して孫娘を元の班に戻した。

しかし、しかし、私自身、この年になってようやく「ありがとう」と、心から言えるようになったのではないのか。
若いうちは、生活に追われ、ほとんどのことを「やったー!」と、運の強さや自分の努力と勘違いし、ただなりふり構わず必死で生きてきただけじゃなかったか。

ようやくこの年になって、少しは人さまのお役に立てるようにと、子どもの居場所事業を始めたおかげで、これまで見えてなかったたくさんの「世にはばからず世界を支えている人の姿」が見えるようになったばかり。
報いの少ない仕事を楽しめるようになったから、これまでの、たくさんの支えが見えてきて「ありがとう」が噴出するようになったのだ。

私自身の「ありがとう」が70歳近くなって湧き出していることを恥じながら、孫娘もいつかこんな日を迎え、「ありがとう」と一杯言える幸せな人生を歩んでほしいと思った。












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