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剣道を語る上で必須事項① 剣道とは?・武士道

剣道の起源を知ることは、高段者の義務です。これは、何故かというと、高段者は正しく剣道の伝統精神性を伝えなければならないからです。今後、段を取得したい場合、昇段審査で審査員が求めるものは何であるかを考えるには、この剣道の起源とベースを知らなければなりません。剣道の歴史的知識の習得は段位取得に通づる。

①剣道とは?

「剣道とは、剣の理法の修練による人間形成の道である」

剣...両刃であり相手も斬れるし自分も斬れる

理...人の力では動かすことはできない物事の当然のすじ道

修練...何度も繰り返し経験を積んで身につけるもの

「人間形成の道」とは?

剣道とは、そもそも、相手をたたき、突き、体当たりしたりするものであり誰かが言いました。「知のない剣道は、ただの暴力である」と「知」とは?それは、知性であり、教養であり、徳性です。昔で言うところの「礼」や「義」も含まれることでしょう。

②剣道の歴史と、剣道人の「人間形成」とは?

彎刀で鎬(しのぎ)造りの刀は日本独特で、平安時代(794~1185)の中頃に出現
江戸幕府(1603~1867)の開府以後、平和な時代が訪れるに従い、剣術は人を殺す技術から武士としての人間形成を目指す「活人剣(かつにんけん)」へと昇華し、技術論のみでなく生き方に関する心法が拡がった。幕府初期には柳生宗矩の「兵法家伝書」、第三代将軍家光のために「剣と禅」を宗矩にたのまれて沢庵が解説した「不動智神妙録」、宮本武蔵の「五輪の書」などは、そうした思想を集大成した兵法書である。
これらの書が武士に問いかけたことは、如何にして死を超越して生に至るかという問題であり、それはそのまま武士の日常生活の教育でもあった。武士は、これらの指導書、また教養書を学び、日常生活は厳格で質素であり、才能を磨き、武術に励み、善悪を知り、一旦緩急があれば藩のために国のために命を捧げることを知っていた。通常の仕事は現代でいうと官僚であり軍人であった。ここで生まれた武士道の精神は264年に及ぶ平和の中で養われ、封建制度の幕府が崩壊しても日本人の心として現代に生きている。

引用:全日本剣道連盟

特に現代人とは異なるのは「死生観」ですね。剣の歴史は殺戮の歴史ではありますが、常に死と隣り合わせていた時代に死をおそれない心を積んでいたことでありましょう。一死よりも名誉を重んじ、一名よりも門地を大事にする時代でした。

これ個人的な見解なんですけど剣道において「下がる」ということが形として「良くない」と言われるのはこの「死生観」からではないかなと考えております。私、スマブラゲーマーの側面も持っていまして「引く」動作って強くてスマブラでは必須概念なんですよ、勿論、間合いをゆっくり詰めていくというのも最重要です。

②武士道とは何か?

1.「武士道」は今も完成されているものではなく、絶えず生き続けるもの

2.「武士道」は成文法ではない

3.「武士道」は封建制度時代に発達。

武家諸法度は成文法であるが、武士道は明確ルールを明記されておらず元々戦前の日本の「宗教」といってよい。武士道は道徳的原理の掟で武士が守るもの、教わったものであり、有名な武士や学者の格言が伝えられたものに過ぎない。それらは、語られず書かざるの掟として記された律法である。

武士道は、仏教から

「運命に任すという平静な感覚」

「不可避に対する静かなる服従」

「災禍に直面してもストイックに沈着」

「生を賤しみ死を親しむ」

ただ、これでは武士が傲慢であるとして

それから、日本独自の神道

「主君に対する忠誠」

「先祖に対する尊敬」

「親に対する孝行」

が普及される。これらは他の宗教では獲得しえない考え方である。剣道を始めるというのは、本来、日本人が持っていた「精神」を求めるものまぁ、こういった思想は「宗教」なんですけど。

剣道の歴史と武士道の宗教(神道)をサラッと紹介しました。いかがでしょうか最近の若い皆様「古臭い考え方だな~」「小池百〇子なんて息を吸うように嘘ついているじゃん」とか思うかもしれません。実は歴史の勉強をすると戦前の日本人のトップは武士道精神が強かったことがよくわかったりします。それがGHQによって武士道精神が脅威とみなされて、壊されてしまいました。さらには、令和の時代「嘘」を制する者が人生を制するといった資本主義にまみれた現代人の中華思想に変わりつつあるのではないかと個人的には考えたりしています。剣道でも、昨今の競技化が加速していることから、元の剣道の根本にある考え方が失われつつあります。現代思想に染まるなというわけではないが、戦前の日本伝統的な考え方というのは、抑えておきましょう。


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