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身体物理基礎④ 「浮力」。何故、剣道で力んではいけないのか

前回、「重力」の話はしたのだが、下向きの地球の「重力」に拮抗して、それと釣り合う、上向きの力というのは厳密に何なのであろうか。何故、物体は静止状態を保てるのか。カラダを構成している微細な粒子は、身体というシステムの中で、そのシステムという秩序を保ちながらも、三次元的にその位置を変えられることが保証されなければならない。今回は重力の抗力、つまり、身体の中の「浮力」について語っていく。

海岸の近くにいる人は約1気圧の空気の圧力のもとで暮らしている

この一気圧という圧力の大きさは、かなりのもので、単位面積当たり、水の柱にして約10メートルの高さの重さに相当します。1平方メートル当たり、10トンもの圧力が、鉛直(重力)方向だけに真上からかかっていれば、ヒトはその圧力にとても耐えることができませんが、気圧は、上からも、下からも、横からも、斜めの方向からも、その気圧の支配下にある人やモノの各面に、あらゆる方向から垂直に作用し、その圧力は、人の身体に対して、おおよそ釣り合っているので、その圧力を重いと感じることはありません。

私たちは、約1気圧を受けて生活している

上空にいけばいくほど空気は徐々に薄くなっていきます。逆に考えれば、地表という所は、十数キロメートルの深さの空気の海の底であると言い換えることができます。私たちは、空気の海の底で、身体は、身体の体積と同じ体積の、空気の重さに等しい「浮力」を受けています。しかし、私たちは、生まれた時から、地表の空気中にいるので、その物理的な条件が一様であるということから、その「浮力」の存在は気にしません。

水は、その比重(ある物質の密度と標準物(摂氏4度の蒸留水)の密度の比)が空気の約10倍もあるので、1気圧という圧力の違いを体験しようと思えば、水中に10メートル潜れば、簡単に体験できます。水面でいっぱいに膨らませた風船を持って、10メートル潜れば、その体積は半分に圧縮してしまいます。再び水面に浮上すれば、その風船の大きさは、当然、その大きさに戻ることになります。1気圧という圧力は空気という気体の容積を半分にする能力を持っているわけです。水の中では、モノも、身体も、水面からの深さに比例した水圧を受けます。その水圧の大きさは水の密度、重力加速度・水の深さの3つの要素の積に値します。この水圧に面積をかけると、その面に働く圧力が得られます。狭い範囲での、水の密度と重力加速度を一定と見なせば、水中に存在する所定のモノの各部位の、水面からの距離の「差」が「浮力」という上向きの力を導き出すカギを握っています。

「浮力」

浮力

p(密度)とq(重力加速度は、重力スピードと考えてください)は、一定と考えます。dを上面までの水深とすると

物体の上面の面積:p×q×d×aの2乗

物体の下面の面積:p×q×(d+a)×aの2乗

で、上面の水深よりaだけ深いので下面の水深はd+aとなります。

下面の面積の(d+a)を展開すると(p×q×d×aの2乗)×(p×q×aの3乗)

その結果、この物体の上下の面に働く、方向の違うの力の差p×q×aの3乗の力が、上向きに働き、この力が、鋼製の数十万トンもの船を水に浮かべたり、川底の小石を水中で軽くする「浮力」という力の正体となります。

つまり、水中にあるモノと、同じ体積の水の重さに等しい力が、重力と反対方向に働くことになります。流体の中にあるモノは、立方体だけではありませんが、どんな形のものにでもそのものが排除した、流体の重さに等しい値の「浮力」が働きます。この「浮力」の由来で注目すべきことは、水中にあるモノの、上下の水深の「差」であるというところです。水深そのものが、浮力を生み出すわけではありません。空気中と水中では、その物理的な条件が、かなり異なっているように感じられますが、「浮力」に関する限り、その密度が異なっているだけというわけです。

ということは、ヒトは物理的な条件がかなり限られた空間でしか、快適に過ごせないようになっています。水中で、物体が、同じ深さのところにとどまっているためには、その物体に働く、重力浮力の大きさが等しく、下向きの力と上向きの力がピッタリ拮抗していなくてはなりません。その力の大きさに「差」があると、その平衡は即座に壊れ、その者はその時の条件に従い、上下のどちらかの方に動き始めます。

人の身体は70%「水」で出来ている

ところで、「浮力」の話が人の身体、運動、剣道にどのように繋がっていくのかというと、そもそも人の身体の70%弱は「水分」なわけです。だから、普段は勿論、感じませんが、立っている時、ヒトの上部と下部の間には、相当の圧力の差が存在しているわけです。

人のカラダの外郭を一つの容器に例えると、身体を構成している粒子は、それが位置する床からの高さ(水圧に比例する)に関係なく、その容器の中で、上下・前後・左右の三次元の方向に対して、平衡状態であり、圧力や痛みを感知する受容器もその状態にありますから、痛みなどを感じることはできません。水は少々の力だは圧縮することができませんから、身体のほとんどは水分であるとしたとき、カラダのような小さな一つの容器の中では、私たちの生活上では平衡状態は保証されていってるといいでしょう。それに対し、空気は水深10メートルでその容積が半分になってしまいます。鼓膜のように、内耳の空気と、外耳の水という性質の異なったものに挟まれている部位には、その条件に応じて「圧力差」が傾度力を生んで、鼓膜にそれに応じての変化が起こり、その変化を痛みの受容器が感知すれば、耳が痛みを生じます。不快の生ずるところには、必ず、不快を感知する受容器が作用するに足りる何がしかの物理的な「力」の存在がなくてはなりません。そのためには、いままでの平衡が崩れるということがあり、そこに「力」が生じ、その「力」が受容器を作用させて、はじめて不快感が生じます。この事象を考察すると、いかに「力み」というのが身体の平衡に弊害があるかを考えることができる。したがって、肩こりや腰痛などの不快を取り除くためには、その受容器の周辺の平衡を崩す要因である、隣り合う部位のポテンシャル(高さや硬さ、密度の差など)を下げて、無駄な「力」を生じさせないことが必要なわけです。カラダをスムーズに動かすという見地からは、身体を構成している粒子が、物理的な平衡という関係をその周囲と結んでいないと、少ないエネルギーで身体を動かし、外部からの小さい力の働きに、スムーズに反応することができません。カラダというシステムは、カラダというものを外部から切り離し、様々の機能を獲得してきた、と考えるよりは、水分を身体に多く取り込むことにより、人のカラダができる以前から存在する、地球の「重力」と、その重力に起因して生ずる「浮力」という自然法則を当然のように利用して、ヒトの機能に沿った形を成してきたようです。ヒトの骨をカラダの外に取り出して、重さを測ると、そうとう重く感じますが、それが、カラダという、内部がみずみずしい容器の中では、その容積に値する、水の重さに匹敵する「浮力」を得て、骨は少ない筋肉の収縮する力で、スムースに動くことができます。

川の底にある、少々大きめの意志を水中で動かしてみると、意外に軽く感じるでしょう。その石を空気中に取り出した途端に、同じ石でもかなり重く感じてしまいます。身体の中は、水分で出来ています。気体ではなく流体の中で、骨も筋肉も内臓も、取り入れた食物に至るまで、重力と拮抗する「浮力」が生じていて、省エネでカラダは機能していたわけです。

カラダの容器は流体だからこそ、重たい骨、筋肉、内臓をスムーズに動かせる。その流体としての機能を使わずにガチガチに筋肉を肥大したり、身体の「流れ」を途絶えた動きをするよりも、その流体として「流れ」を作って粒子を平衡な関係に保った動きをする方がエネルギー出力の効率がいいということである。
身体を構成する「粒子」が、物理的な平衡という関係をその周囲と結んでいないといけない。そのためには、受容器の周辺の平衡を崩す要因である、隣り合う部位のポテンシャルを下げて、無駄な「力」を生じさせないこと。それに対する痛みや不快感は無駄な「力み」である。

この記事の内容を理解すれば次の「エネルギーの通り道」の重要性がすんなり理解できるのではないかと思います。

人間の体液の内、細胞内液が40%25l、細胞外液が20%13l(リンパ、血液、胃酸etc)

不特定多数の正常と思われる個体から統計的に得られた平均値。男性1.055~1.063,女性1.052~1.060

脂肪組織はほとんど水を含まないため、男性に比べて脂肪が多い成人女性では、体重に対する体液の比率が小さくなる

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