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剣道を考えるとはどういうことなのか?極理論の書 解禁

複数対複数の「師匠」と「弟子」の関係性の時代から、情報過多の時代、ネットの普及により、あらゆる剣道の情報が錯綜し、何を信じたらいいかわからなくなった。ネットが普及される前から「どの先生の言っていることが正しいのか分からない」といったことは当然のようにありましたが、何をどう信じて実行に移せばいいのでしょうか。

ところで、物事を思考するためには、「困難を分割せよ」とデカルトがおっしゃっていました。何事に対してもその事柄に関して考えて理解するためには「分割」して再構築する作業というのが基本となります。「数学」では勿論こういった作業を行うのですが、では、「剣道」を分割すると、どこまで分解するとどうなるでしょうか。

それは、「基礎」にいきつくかもしれません。では、「基礎」って何故それが基礎となっているのか考えた時、剣道のワクを越えて分解していかなければなりません。「剣道」というのは、私たちの身体である「剛体」を運動変化させる要素を持っています。更に、「剣道」というのは、勿論、私たちそれぞれの「身体」を使って、竹刀を操作したり、すり足をしたりします。当たり前だと思われるかもしれませんが、分解すればするほど、「身体」や「運動」というキーワードを無視できなくなってくるのです。そうして、「身体」の勉強をすると、例えば踵を上げるという動作がアキレス腱に負担のかかる動作だということを理解できるようになります。じゃあ、なんで、剣道の基礎は身体の負担をかけ、身体的に非合理の構えなのだろうと考えた時に「剣道の歴史」というものを研究していかなければならなくなるわけです。このように、剣道を思考していくというのは、あらゆる教養を研究していく「道」であるともいえます。このマガジンでは、剣道の基礎を行う前の土台として必要不可欠な「身体」「物理」を中心に展開していきたいと思っております。

剣道という競技の特性

サルティンとオストランド(1957)は、身体の運動遂行にあたって、一般的にいって、「エネルギー発生」「神経・筋系の機能」「心理的要素」の3つが最も重要であると説いた。

猪飼(1973)は、さらに具体的に、運動成果、調整力、身体資源の3つの要素の間に、運動成果=調整力∫身体資源

競技種目は大きく3つに分けられる

1、絶対的な運動成果で決められる競技:距離・時間・重量の組み合わせで運動成果が機械的に判定される場合であり、陸上競技、水上競技、スキー(アルペン、距離)、スケート(スピード)、重量投げなど

2.相対的な運動成果で決められ、勝負を統計的に処理し比較するもの:勝負の形式がトーナメント式の勝ち抜き、リーグ戦式の勝率などで決定

3.勝負を判定者の主観に基づいて比較するもの:複数のベテラン判定者が、各自の主観的判断を総合し数量化して比較するもので、体操、ダンス、スケート(フィギュア)、水泳(飛び込み)など

「剣道」は有効打突基準が他競技に比べかなり主観的な判断を用いられるため、2であるが、3の要素もあるので中々難しい所である。しかし、同一競技のパフオーマンスを3人の判定員が同じような判定を下し、多数の観客がその結果を納得するということは、そこにはある共通した定量の可能なものの存在を予測できる。そして、この共通した定量可能なものの存在を明確に把握されてこそ、初めて合理的・能率的に実施されるものになる。

「身体運動」の構成要素

運動は力によって引き起こされるが、この力は便宜的に二つに分けられることができる。

能動的な力:運動遂行者の意思に基づいて起こる筋の収縮によって調整可能な力

受動的な力:運動遂行者の意志によっては、ほとんど調整不可能な重力、風の抗力、浮力といった力

力を調節するのは、神経系であって、それまでの運動経験に基づいて形成された運動指令および調節回路によって、運動が調節される。この神経系は、一回の運動思考の結果を、その運動の目的に照らし合わせ、運動が習熟されていく。

筋力・神経系だけではなく、重力・抵抗力で人の身体は動く

剣道の前に「身体」の勉強をせよ

まず、私たちの身体の構造がどのように機能しているか、そこから始まっていきます。それには人体の骨格、骨、筋肉、神経系の構造と機能ですね。

剣道の前に「力学」の勉強をせよ

身体の使い方を勉強したとしても、身体を動かした時に、どのように身体が「重力」や「抗力」に対して作用するのかを理解しなければ、全く身体操作は機能しません。解剖学や身体操作の方法を極めたとして、ある程度の上達は保証されますが、やはり「怪我の要因」や「さらなり理論」にまではたどりつけず、自分の身体の動作に対して言語化するにはやはり足りません。

剣道の前に、「身体操作」の勉強をせよ

「腰」がどこにあるのか?と尋ねられて、この辺と答えるとその人にとっての「腰」はそこになります。剣道で「腰で打て」と指導されるとそれぞれの「腰」で打つ事になります。実際、「腰」というのは解剖学に存在せず人間の文化的概念なわけです。三人称での「腰」は「骨盤」にあたりますが、そこで主観と客観にズレが生じています。また、「骨盤」そのものを動かすために、①お尻に感覚を置くひと②脇腹に感覚を置くひと③肩甲骨に感覚を置く人が存在します。

もっと具体的に剣道の基礎動作の指導だと、「左ひかがみ(左膝裏)を伸ばせ」という指導がされたことがあるかと思います。ただ、「右重心を戒めて、左重心によって左股関節の外旋力を使った打突を目指す」という解釈ができないと、人によっては、うまく作用するし、人によっては逆に全く作用しないという結果になるんですよね。

人体の各部位のパーツの働きというのは存在はする。凡人だとしても、その各部位のパーツの動かし方の理解や身体がどこを主軸にして動かしたらいいのかという運動学「からだ」の知識の土台を理解していれば、何を採用して何を不採用にするかの振るい分けが可能となる。このブログに関しても「解剖学」をベースに剣道の基礎動作を紹介している。その動かし方というのは各自で実践していくしか方法はないが、「からだ」の基礎土台があれば「この動きは不正解だ」と気づくことはできます。