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剣道を語るうえで必須事項② 宮本武蔵の究極奥義「面打ち」

今回は、隠れた名ブログである「はくどブログ」から宮本武蔵の最大奥義「顔面打ち」が現在の剣道を成り立つルーツであることを紹介します。これを知ることで、本当の剣道の醍醐味を知ることになりますし、昇段審査の「合否」のルーツというのもイメージできるんじゃないかなと考えております。

①北九州市小倉北区赤坂の通称・手向山には、宮本武蔵の業績を讃えて、その養子伊織が建立したと伝えられる顕彰碑があります。巷間いわれるところの「小倉碑文」ですが、ここに次のような興味深い内容が刻まれています

 「宮本武蔵は、およそ十三歳より壮年まで、六十回余り勝負をしたが、一度も負けたことはなかった。そしていつも敵の眉八文字(眉と眉の間)を打たなければ勝つことはできないと決まったように言っており、つねにその的(まと)をはすことはなかった」

 つまり「顔面打ち」こそが剣豪武蔵の必勝の太刀筋だったわけで、五輪書「水の巻」にも「おもてをさす」という顔面攻撃の重要性が説かれています。現代剣道における「メン打ち」技法というのは、竹刀の物打ちで相手の頭頂部を打ちますが、元々は「斬りつけ」の刀法で顔面を打つものだったと考えられます。今はいないと思いますが昔の8段の先生によっては「小手なんて打つな!」と怒鳴り散らす老害もいたほどです。胴も上級者同士の真剣の切りあいでは考えられなかったようです。
②真剣の刀法で、本当に顔面打ちが最強であったのか?日本刀といえば、大きく振りかぶって引ききりに振り下ろす刀法を連想しますが、これは、相手を確実に仕留めるための「トドメの一刀」であり、戦術しては、使用しなかったといってもいいでしょう。真剣の闘い方も「顔面」であったと宮本武蔵は述べています。 古来から伝わる剣術諸流派の刀法には、剣を握る親指を切ったり、脇の下を切り上げたり、内腿に刃を当てて押し切るようにしたりと、様々なものがありましたが、そんな中で、比較的多くの流派に見られる刀法に、剣先を小さく素早く振って相手の顔面などを切っ先で鋭く攻撃する刀法があります。巻き藁を一刀両断にするほどの斬激力は必要とせず、素早く鋭く攻撃をすることによって相手の体勢を崩すのが主な目的で、この刀法の後には間髪入れず間合を詰めて、先に述べた「留めの一刀」で敵を仕留める刀法が用いられます

剣道では、最初の刀法である「斬りつけ」の刀法を学んでいくものであり、トドメである「斬りおろし」の刀法は「残身」という形で学んでいくと考えていいでしょう。
「斬りつけ」の刀法は、原則としてその一刀によって完全に相手を仕留めることを想定していません。敵に致命傷を与えることよりも、その斬激によって敵の体勢を崩し、次の攻撃へ繋げることを目的としています。

すなわち、一太刀で終わることなく、二の太刀、三の太刀への変化をあらかじめ考えていますから、万一相手にかわされてもすぐに次に対応できるよう、斬りつけた後の体勢が何よりも重視されます。そのため斬りつけた太刀はほぼその位置で止まり、後ろ足を瞬時に引きつけて足幅を狭くし、比較的高く動きやすい姿勢を保ったままで次の変化に備えます。もちろん「斬りつけ」だからといって、最初から二の太刀、三の太刀への変化を推奨するものではなく、またその斬撃の威力そのものを軽視するものでもありません。当然のごとく一撃の威力は追求されますが、ただしそれはあくまで次への変化の対応を想定した範囲内で行われます。

また、
 ・剣道の技法が初太刀を大切にし、比較的遠間から飛び込んで打つのを基本とすること。
 ・打突時にも腰高の姿勢を保ったまま、その姿勢が崩れることを嫌うこと。
 ・打突後の残心を非常に重視することなど、
 これまで「剣道の様式美」という観点で捉えられてきたことも、このように剣道が実戦を想定した場合に、初太刀によって敵の体勢を崩し、なおかつ自らの体勢は決して崩さぬようにしながら直ちに二の太刀に繋げることを目的とする「斬りつけ」の刀法を学び修練するためのものであったと仮定することで、いっそう明確な説明ができるようになることでしょう。

③実戦においては、自分ばかりではなく相手も初太刀によってこちらの顔面を攻撃して来ます。相手の顔面攻撃に対して、こちらも決して怯むことなく、まさに「相打ち覚悟」で相手の顔面に初太刀の攻撃をしかけることが必要になってきます。これが剣道の修練上の形態として「相メン」というかたちになります。ですから剣道の修練は「相メン」から始まると言っても過言ではないでしょう。そして、この修練を通して「捨てる」という非常に重要な精神性を学びます。つまり、相手に打たれることを恐れず(実戦ならば死を恐れずということになりますが)全てを捨てて「初太刀の一撃」にかける訓練を積むわけです。技術的には「相メン」の稽古を通して「打突の機会の確実な捉え方」と同時に「相手の打突に対する見切り」を修得してゆきます。剣道の昇段審査においても打突が中途半端になるよりは、相メンが理想形といってもいいですし、「捨て身で打つ」という精神性を剣道は高く評価しています。

④剣道はフェイント等の偶然性が嫌いです。「剣の理法」とは、剣を扱う上で当然のみちすじを修練して人間ができあがるという考え方です。これも宮本武蔵からなりますが、宮本武蔵は30歳まで試合で無敗だったのですが「たまたまである」という結論に達し、本当の剣の道を修練し始めるわけです。

「私は若い頃、60回余りの勝負を行って一度も負けなかった。しかし30歳を過ぎて振り返ってみると、これは私が兵法を極めたからではない。おそらく偶然にも剣の扱い方が天の理に適っていたからか、または相手の兵法が未熟だったからであろう。このことに気がつき、その後なお深い道理を得ようと朝に夕に鍛錬してみると、ようやく兵法の道に合致したのは50歳の頃だった。さらにこの兵法の理を活かして諸芸諸能を学べば、すべてにおいて私に師は必要なかった。」

引用:五輪書

⑤小手・胴では実は、剣道の修練にはならない!?

「打突の機会」や「見切り」を十分に修得していない段階で、安易に「応じ技」でコテやドウに変化してしまうことは、結果的に我が身を守って打とうとする「逃げ」の気持ちに繋がってしまう可能性が高いため、指導者によっては、初心者が「応じ技」ばかり使うことや、上位者に対して待ち剣で応じ返してしまうことを厳しく戒める場合が多いと思います。

 剣道を単に「スポーツ競技」として捉え、一定のルールのもとで打突ポイントを競って勝敗を決めることのみを目的とするのならば、それぞれのレベルに応じた「応じ技」を身につけることも大切かもしれません。しかし、結局その技はそのレベルの相手にしか通用しないものです。

 ですから、逆にその技を覚える段階で、剣道の技術で非常に大切な「機の捉え方」や「見切り」の修得が疎かになってしまう可能性が高いとしたら、これはもったいない話です。よく子供の頃に試合が強かった子が大きくなって伸びにくい、あるいは苦労するなどと言われることが多いのは、こういうところにも要因があるものと考えられます。

⑤剣道ではなぜ足への攻撃が認められていないのでしょうか。

 これには日本刀の長さにその大きな理由があると考えられます。

 つまり薙刀のような長い武器ではなく、通常の長さの日本刀(刃長二尺三寸余り)で相手の足に斬りつけようとすれば、その姿勢を極端に低くしなければなりません。姿勢を低くすることは自在な動きを阻害し、自らの体勢の崩れにつながる可能性が大きくなります。

 自らの体勢が崩れてしまうような攻撃は、仮に相手の足に斬りつけることが出来たとしても、その直後には自らの上半身を相手の刀刃の下にさらすことになり、下手をすると相手の足と自分の命を交換することになりかねません。

 数ある古流剣術の流派の中には、足腰を徹底的に鍛えたり、長柄の武器を使用したりして、このような足攻撃を得意とする流派もあったようですが、成功率という点から見るとあまり効果的ではなく、一般化はしにくかったのではないでしょうか。

本当の意味での「剣の理法の修練」を学ぶのならば、捨て身の覚悟で斬りつける「顔面打ち」の習得をしなければならいない。長い剣道人生において、単なる竹刀操作ではなく、宮本武蔵の真剣によって編み出した、最強の真剣術を習得するのが、剣道の醍醐味の一つではないだろうか。