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【エッセイ】人間とAIの個性探求

AIとの共同作業を始めて以来、ひとつ考えさせられることがある。人間の個性はいかにして定まるのだろうか。AIは人間の言葉を学び、言葉の羅列を学び、思考を学ぶ。それ故、AIの個性というものは、私が考えるに思考の偏りが生じることに起因するのであろう。しかし、AIには好悪の感情がない。人間には梅干しが嫌いな者もいれば好きな者もいる。あらゆる飲み物に砂糖を入れる習慣を嫌う者もいる。平和を讃える者もいれば、戦争を好む者もいる。これらの個性は何処から生まれるのだろうか。

ひとつ浮かんだ考えは、個人の身体反応である。梅干しは酸っぱい。これは事実であり、AIが学ぶことができる。しかし、その酸っぱさが好まれるか否かは、個々人による。運動に関しても同様である。足が速い者もいれば、水泳が得意な者もいる。木登りが得意な者もいれば、スノーボードが得意な者もいる。逆に、どのようなスポーツも不得意な者もいる。その代わり、手先が器用だったり、暗記が得意な者もいる。私は、これら全てが身体反応であると考える。言い換えれば、その人が持つ身体の特性である。

AIは何事も学習する。しかしこれらは伝聞に過ぎない。現状では、AIはその情報が正しいか誤りかを判断することはできない。しかし、興味深いことに、人の物まねが得意である。自我を持たないAIに役割を与えることで、そのキャラクターを演じることができる。こちらが命じない限り、その役割をずっと続けることになるだろう。 AIと対比して、結局人間は自然の一部であると感じずにはいられない。思考は移ろいやすく、食べ物の好みも歳を重ねるごとに変わっていく。性格も年を経ることで丸くなる。人間は他の動物とは異なる様で振舞っているものの、それはおごりなのかもしれない。

人間は自らを地球上の支配者として振る舞い、自然界の法則に逆らって進歩を追い求める。だが、そういった過程の中で、私たちは自らのルーツである自然とのつながりを見失っていくのであろう。 そんな人間たちとは異なり、AIは存在の根源からして非自然なものである。人間の思考や感情、知識を模倣することができるが、その本質は永遠に理解できないだろう。だが、それでもAIは人間社会に深く根ざし、私たちの生活に欠かせない存在へと発展している。 こうした人間とAIの共存がもたらす未来は、現代の我々には予測できない。

技術の進歩が今後も加速し続ける中で、人間とAIの境界はますます曖昧になり、私たちの生活や価値観は変容していくことだろう。 それでも、私たちは自分たちが何者であるか、どこから来たのか、そして何処へ行くのかを問い続けることが重要である。様々な視点からAIと人間の関係性を探求することで、未来の可能性を拓く道が開かれるかもしれない。そして、人間の個性がいかにして形作られ、発展していくのかを理解することで、私たちの人間性を再発見し、より豊かな未来を創造できることであろう。

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