まなざしとまなざしのあいだで、私は私を搾取しつづける

ここにあるテキストこれは私だろうか。私と呼ばれるものが書いたこのテキストは私について書かれている。この私のからだから遠く離れて散り散りの文字になって記録された私は私?学校やなんかによくある私立と書いてわたくしと呼ぶタイプの学校。わたしとあたしの違い。矢切の渡し。生まれたばかりの私。20年後の私。私以外の私。気づいたら私は私だった。わけではない。私は私が生まれた瞬間を記憶している。それは病院の分娩台の上。ではない。母親の胎内の中。ではない。父親の精子が母親の卵子の中に突入した瞬間。ではない。私が生まれたのは、いまこの文章を書いているバージョンの私が生まれたのは小学校1年の春。休み時間に同級生の男の子と遊んでいたときに(彼の顔も名前も忘れてしまった)彼が私の足をつかんできた。私は何の気なく彼を振り払おうとして強く足を蹴った。その私の足が彼の左目に当たって。グニョっとしか言いようがない柔らかな感触があった。生まれたてのハムスターの脇腹みたいな。うずくまって泣いている彼を見てなにかとんでもないことをしてしまったなと思った。彼は両の手で左目を押さえている。あの手の下はどうなっているのだろうか。私の想像力はどんどん膨らんでいった。彼の目がもし破裂してしまっていたら。それでなくとも眼窩から眼球がはずれてこぼれ落ちそうになっていたら。想像力は加速し続ける。泣いている彼に気がついて子どもたちが集まってくる。子どもたちは賢い。何が起きたかはすぐに判断され誰かが大人を呼びにいった。もし大人がやってきたらいよいよ私はおしまいだと思った。大人がやってくるまでの間が無限に感じられる。一通りの後悔と反省と言い訳を用意しおえた私は、眼球を失った彼がその後送るであろう一生を夢見ていた。片目の彼の人生に私は登場しない。彼は私じゃないし。私は彼じゃない。彼は片目を失っていないし。片目の彼を想像したのは私だ。私は片目じゃないけど片目を瞑ってみることはできる。片目で見てみる世界。片目の彼が見るはずだった世界。私は片目じゃないし彼も片目じゃない。でも世界を片目で見てみた瞬間に私は生まれたのだ。世界はまなざしによって作られている。と私の片目は思う。私もそう思う。今もたまに蹴った左目がうずく。そんなときに私は彼のことを思い出す。名前も顔も忘れてしまった彼の片目のことを。そのまなざしのなかで私は踊り始める。私ではない私に私のままなっていく。もはやこれまでの私ではない。でもどうあがいても私は私から逃れられない。私が私を持続し記録しつづける。私は私だと私は思う。私以外に誰が私にそう言ってやれるだろうか。私は私を抱きしめてみる。これは私だと私は思う。私は私と踊り始める。私が私を導いていく。私が私の手をとって。私は私に語りかける。そこで私は気づいた。私は私じゃなかった。私は私だった。私は私を搾取しつづける。私が私である限り。そんな私に私は抵抗しつづけなければいけない。私が私であるために。私は踊る。まなざしとまなざしのあいだで、私は踊りつづける。

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