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父と娘

世の中の女性をすごく大雑把に2つのタイプに分けると「父親が理想のタイプ、父みたいな男性と結婚したいです。」という父親大好き派と「父親とは折り合いが悪く、結婚するなら父とは異なるタイプの男性がいいです。」というアンチ父親派に分けられる。

私は明らかに後者である。親しい友達にも
「あなたが交際相手に選ぶ男性はどの人もおかしいくらいあなたのお父様とはかけ離れたタイプだね。」
と言われたことがある。本当に『おかしいくらい』そうなのだ。

私と同じくアンチ父親派の親友がこんな風に笑いながらこぼした事があった。
「父とは色々な面で異なる男性をうまく選んだつもりでいたのに結局ダンナは思っていたより父と共通点があるのよ。」

さて、私の場合はかなり父親と違う性格の男性と結婚する事に成功(?)したと言える。そんな事を思うきっかけがあった。昨日は車で群馬の方まで遠出をする用事があった。日本語が読めない夫は道路標識なども一部ローマ字併記であってもなかなか瞬時に読み取れない。私がGoogleマップと標識に目を配りながらしっかりナビを務める必要がある。Googleと実際の道路が完全一致しない場合や距離感のズレのせいで判断が遅れることがある。昨日もそんな感じで高速の入り口を一旦逃してしまった。そんな時、夫は嫌な顔一つせず"No problem"とUターンで軌道修正する。これが父であったなら「なんで、ちゃんと見ていないんだ?」となじられたと思う。

夫は決して人の間違いを責める事をしない。間違いを指摘するのではなく、正しい方法を示してこうやるべきだと主張する。人にものを教える事を職業としている彼は決して「△△するな」とは言わない。代わりに「正しいやり方は〇〇だ。」と説く。

父は私の間違いを「なんでそんな事をしたんだ?」となじっただろうが自分が間違っても「なんでこんな事をしてしまったんだろう?」と自分をなじっただろう。フェアな人ではあった。

6年前の9月に亡くなった父と最後に交わした会話がこんな感じだった。
「ここまでのタクシー代を返さないといかんな。」
「そんな事気にしなくていいよ。」

このタクシー代とは、朝トイレで倒れていた父が救急車でとりあえず運ばれた救急病院からいつものかかりつけの病院に移動した際に私が払ったもの。この会話を交わした翌日の夕方に父は息を引き取った。その時既に自分の最期が近いことを十分意識していたはずだ。タクシー代なんかどうでもよかったのに。私も私でもうちょっと気の利いたことが言えたはずなのに。

父のこんなところが嫌いと思っていた「こんなところ」の数多くを私も受け継いでいると認めざるを得ない。夫との日常のやりとりの中でそんな事に気づかされる。

お父さん、ごめんね。
お父さん、ありがとう。

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