アメリカの核開発の歴史 ~ デュポン社は本当に「死の商人」なのか?

PBSが放送する歴史番組「タイムライン」の、アメリカの核開発の歴史を追ったドキュメンタリー。

軍需産業は人間を殺傷する物資を売りさばくことによって富を得る構造ゆえ、往々にして「死の商人」と呼ばれ、以前NHKの「新・映像の世紀」では、第一次世界大戦において火薬を供給した米デュポン社をそのように伝えていた。しかし、「新・映像の世紀」では第一次大戦後のアメリカ国内で、そのデュポン社がその嫌疑によって大きな批判を受けていたことを伝えなかった。

アメリカでは第一次大戦後、「国内軍需産業が利益を得るためにアメリカを第一次大戦に参戦させたのではないか?」という世論が巻き起こり、1934年に兵器産業特別調査委員会(Special Committee on Investigation of the Munitions Industry)が立ち上がり調査が行われた。委員会議長である共和党上院議員ジェラルド・ナイ(Gerald Nye)の名前にちなみ、通称ナイ委員会(Nye Committee)と呼ばれ、日本ではこの名前で知る人の方が多いかもしれない。

日本では右派界隈を中心に「アメリカが日本に真珠湾を攻撃するよう仕向けた」という陰謀論を語る者が後を絶たないが、そもそもアメリカは建国以来、他国への不介入主義(United States Non-Interventionism、日本では「孤立主義」と呼ばれる)を理念としていたわけで、第一次世界大戦への参戦はその理念に反した行動であったため、自戒的な世論が巻き起こるのは当然の結果であったのだ。

その後時は流れ1941年、日本の真珠湾攻撃を機に、アメリカは第二次世界大戦へと参戦する。ナチス・ドイツによる核開発への懸念から、アメリカは対抗する核開発計画を立案、マンハッタン計画が始動、デュポン社はプルトニウム精製のためにプロジェクトへの参加の要請を受けることとなる。しかし、当時のデュポン社社長Walter S. Carpenterは開発に関与することを当初断っており、その理由は再び「死の商人」のレッテルを貼られてしまうことへの恐れからであった。最終的には計画に参加するのではあるが、その懸念を払拭するため、なんとデュポン社は政府からわずか1ドルのみの報酬を受け取り、愛国的行動であることを全面に打ち出し計画に参加したのである。このような経緯からすると、デュポン社を「死の商人」と言い切ってしまうには、私個人としては違和感を感じえない。

意図的なのかたまたまなのかは知らないが、第二次世界大戦が絡むと日本はアメリカの当時の状況や事実を無視して日本の都合の良いように歴史解釈を行う傾向が強い。アメリカに渡って7年。大学で政治学を中心に歴史、社会学を学んでいくうえで、アメリカの文献やドキュメンタリーを英語で理解していくにつけ、日本とアメリカの戦中史観の大きなズレを、確度の高いほうの事実をつなぎ合わせながら補正していくというのが、私の今の日常である。

Reference:
"Manhattan Project Spotlight: E.I. du Pont de Nemours & Company", The Atomic Heritage Foundation, September 30, 2014, Web,

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