なにをもって「逃げ」とするのか
「逃げ」という言葉に、ひどく違和感を覚えた。
なんで、わたしが今までやってきたことも考えたことも知らないような他人に、
わたしの選択を「逃げ」なんて言われなきゃならないんだ?
進んだ先に何があるかなんて、
何を求めてその道を選んだかなんて、
本人にしかわからないのに。
時には本人でさえわからずに、それでも前に進もうともがいてるのに。
簡単に「逃げ」っていう言葉で片付けてほしくないと思った。
例えば、
ずっと続けてきた部活をやめて、新しい道に進むとか。
いわゆる「就活」をするんじゃなくて、休学してもっと広い世界を見てみよう、とか。
そういう選択を、大人たちは「逃げ」って言うのかも知れない。
でも、ずっと進んできた道を外れるのって、すごくすごく勇気がいることだと思う。
前だけ見て進み続けることよりも、周りを見渡して自分の位置を認識することのほうがよっぽど怖い。
だけどそんな恐怖を乗り越えて、自分と向き合って、自問自答を重ねて、ようやく道を選べるんじゃないのかな。
そうしてやっと選んだ道を、たった一言「逃げ」という言葉で片付けることなんて、誰にもできない。
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