四日市編・昔の武勇伝を語りたがるおじさんvsそれを聞きたくない女

テデシコル・オミキの出稼ぎシコシコ⭐︎チン道中、今回は四日市編である。

三重県四日市市は、関東で生まれ育った私からすると、馴染みがあまりにもなさすぎる街であった。前情報は『四日市ぜんそく』しかない。四日市ぜんそくについて習ったのなんてもう20年以上前の話だ。恐ろしい。何がある街なのか全く分からない。不安である。

その不安は、名古屋駅に着いて早速的中した。
名古屋駅まで新幹線で行き、その後何も疑う事なくJR関西本線に乗り換えるべくホームへ向かう。スーツケースをゴロゴロと引き摺りながらホームにたどり着くと、そこには2両編成の電車があった。新幹線を降りたホームの慌ただしさとは全く異なる閑散としたホームには、古ぼけたベンチしか見当たらない。2両編成の電車が、名古屋駅の隅の方に追いやられて肩身が狭そうに発車を待っている。
え。2両しかないの…?四日市ってそんなに田舎なの…?稼げるの…?不安がむくむくと膨らんできた。

車内は所謂ワンマン運転で、平日の昼間ということもありおじいちゃんおばあちゃんが数人乗っているだけであった。自動のアナウンスが駅名を告げていくのだが、聞いたことのある地名が全く出てこない。中部地方に馴染みのない私ではあるが、一応大学まで出ているし一般教養はある。しかも高校の選択科目は地理Bで、おまけに地理の先生と付き合っていたし(この事はまたいずれ書くことにしよう。)、一つくらい耳馴染みのある地名が出てきてもいいようなものなのに、全く出てこない。不安である。

そして、なんだかんだで四日市駅に到着した。改札を出ると、また不安が膨らんだ。
四日市駅自体はとても広いのだが、駅の待合室は真っ昼間なのに薄暗く、しかも白いシートに覆われてその広い面積のほとんどが封鎖されていた。白いシートの奥がチラッと見えたのだが、大正時代の朝ドラのセットですか?というくらいレトロな建物がそのまま残されていた。
駅を出ると、そこには本当に何もなかった。コンビニすらない。テナントが入っているのかいないのか分からないような、古びたビルが申し訳程度にあるだけであった。人も誰一人歩いていない。
四日市って、一応私でも聞いたことある地名だし…三重県ではわりと大きい都市なんだよね…?大丈夫…?不安である。

しかし、その不安は、お店の迎えの車に乗り込んで事務所に向かう途中で全て無くなった。
四日市にはJRの四日市駅と近鉄の四日市駅があり、地元民の言う『四日市駅』は近鉄四日市駅を指すのだそうだ。事務所に向かう途中に近鉄四日市駅の近くを通り過ぎたのだが、そちらの駅に向かうにつれてどんどんビルが増え、歓楽街や百貨店などが見られた。確かに私の地元である栃木県の足利市も、JRの足利駅と東武線の足利市駅があって、メインは東武線の足利市駅だもんな。と言っても、足利市駅の周りには歓楽街も百貨店もないけれど。

三重県四日市市。県庁所在地である津市よりも人口の多い街で、四日市コンビナートを有する工業の街だ。その為、働き盛りの男性が多く、デリバリー型の風俗店の数は多いし人の動きもそこそこ良かった。ただ、やはり工業系の男性は少し言動が荒っぽい印象があり、私はちょっとやり辛かった。私は関西弁を喋る男性が苦手だ。西の言葉は、東で育った私からすると怒っているように聞こえてしまい、少々怖いのだ。三重県は正確に言えば関西弁ではないのだが、私からすると名古屋弁と関西弁が混ざったような三重弁を話す四日市市民は変に構えてしまい、接客がやりにくかった。実際に話してみると中身はサッパリしていて優しい人ばかりだったのだが。

そんな四日市市、悪いお客さんもおらずみんな優しかったので、これと言って面白エピソードがない。マジでない。おいおい、もっとヤバい行動して私の話のネタになってくれよ。
…と言うより、四日市のお店はお客さんよりもスタッフが強烈だったから、お客さんの面白エピソードが薄れてしまったのだ。

何故おじさんという生き物は、昔の武勇伝を語りたがるのだろうか。
昔は俺結構悪かったんだよ〜。うんうん、どうでも良いです。今は顔が悪いですね。昔すごいモテてさ〜、最高4股かけてたこともあったよ〜!はぁそうですか、今は年下の風俗嬢にお金払っても嫌われてるから実質マイナス4股ですね。
おじさんの昔の武勇伝ほど、聞いていて面白くないものはない。キャバ嬢さんって本当に偉いよね、つまらないおじさんの武勇伝にも『え〜すご〜い♡』『え〜かっこいい〜♡』ってキャピキャピ相槌打てるんだから。私は全然キャピキャピ出来ないのでキャバ嬢はすぐに辞めた。

おじさんの昔の武勇伝が嫌いすぎて前置きがかなり長くなってしまったのだが、四日市でお世話になったお店の店長が正に昔の武勇伝語りたがりおじさんであった。
このお店はかなり少ないスタッフの人数で送迎を回しているせいか、店長自らが送迎をする事が多かった。こういうお店の送迎スタッフは大体3パターンいて、余計なことは一切喋らない人・こちらが話しかけたらノリノリで話し出す人・こちらが話しかけなくてもずっと喋ってる人に分かれる。通常は余計なことは喋らないように教育されている事が多いし、私は送迎中は休みたいタイプなので出来れば話したくない。お客さんと話すのに気を使って疲れているのに、さらにスタッフにも気を使って疲れたくない。私は他人に過度に気を使ってしまうので、基本的には放っておいて欲しいのだ。

しかし、この店の店長は放っておいてはくれなかった。ガンガン話しかけてくる。
見た目や話す内容から察するに、恐らく50代前半。薄い髪に眼鏡でひょろっと痩せており、コテコテの関西弁を喋る。若い頃は吉原でボーイをやっていたらしい。まずはそのボーイ時代の武勇伝を長々と語られた。某有名人が客としてよく来ていたのだが、女の子が嫌がるSMプレイを強要して何度言っても辞めないから出禁にしてやったんだとか、あの芸能人もよく来てたとか、いやいや、ボーイが個人情報喋っちゃダメでしょ…と思いながら、私は乾いた笑いで適当に相槌を打った。
その後は、このお店を立ち上げた時の話。違う店をやっていたんだけど、そこを他のスタッフに裏切られて乗っ取られて、でもこの店を立ち上げてここまで大きくして…みたいな話を延々とされたが、私にはどうでも良い話である。はぁーすごいですねーと適当に言いながら、スマホで『四日市駅 グルメ』と検索しながら、明日のランチ何食べようなぁとずっと考えていた。

目の前のちょっとした嫌なことから逃げる方法、それは『これが終わったら美味しいものを食べるぞ!』と考える事だ。
出稼ぎに行くと、約一週間は寮やビジネスホテルにほぼ缶詰めである。拘束時間が長い為、どこかに出掛けて遊んだりするには時間が足りないし、私はもう年齢的に出稼ぎの最中に遊ぶ体力もない。その為、出稼ぎ中の楽しみと言ったら食べる事くらいなのだ。
おじさんの興味のない武勇伝をどうしても聞きたくない私は、ひたすら四日市の美味しいものを探した。トンテキ、松阪牛、おにぎりの桃太郎、餃子も有名なお店があるらしい、あ!帰りに名古屋駅でぴよりんも買いたいな、ひつまぶしも食べたいなぁ…

そんな事ばかり考えていたら、あっという間に時間は過ぎた。おじさんの武勇伝の内容もほとんど覚えていない。というか、四日市でのお仕事の記憶もほとんど無くなった。嫌な思い出もいい思い出も特にない。なんか普通だった。お客さんの動きも忙しくも暇でもなく普通だったし、稼ぎも普通だった。毎日食べまくって太ったなぁという思い出のみが残った。

そして帰りに名古屋駅で無事にお高めのひつまぶしと鰻巻きを食べ、ぴよりんをテイクアウトし、帰りの新幹線の中で食べた。その後は地元に寄って、友達のバーで朝まで飲んで、知人の社長にお持ち帰りされたのだが、なんとこのバーのオーナーにも昔めっちゃモテてヤりまくってた武勇伝を延々と語られるのであった。もちろん私はその時も、家に帰ったら何をウーバーで頼もうかなぁと考えながらやり過ごしていた。

おじさん諸君、過去に縋っても何もいい事はないし寧ろ女の子に嫌われるので、過去の武勇伝を延々と語るのはやめようね。何か語りたい時は、誰もフォロワーがいないTwitterや noteに書けば誰にも迷惑が掛からなくて良いと思うよ。Twitterやnoteは、見たい人だけが見られるから素晴らしいと思う。私もこれからも、人に迷惑を掛けないようにひっそりとnoteを書いていこうと思う。こんな私の書く文章を見たいと思って見てくれて本当にありがとうね。


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