ありえないことをやってみる

友だちに愚痴ってみたら

ありえない提案をされた。

そんなこと

できるわけがない・・・

*****

私:毎日毎日ご飯の支度するのが面倒!

友人:たまにはご主人に作ってもらうとか

  子どもたちに作ってもらうのはどう?

私:そんなことできるわけがない。


果たして本当にできるわけがないのか?

今までしてこなかっただけで

できないと決めつけるのは早い。

できない、と判断してしまえば

それ以上の進展はない。

*****

自分が作っている

自分の常識。

友人の常識は、私の非常識。

だから

私の常識は、友人の非常識。


きっと

愚痴る場合には

自分の常識を理解してくれる人をチョイスする。

そもそも

その愚痴は解消しようという目的ではなく

ただ言いたいだけなのかもしれないけど。

愚痴を言っている自分に酔っている場合には

それでも全然構わないけど。


単なる愚痴ではなく

それを改善したい

心地よく過ごしたい、と思うなら

自分の常識を疑ってみる。

今までの常識で

こうなってしまったのだから

非常識を取り入れてみる。

どう展開するかは

やってみないとわからないけど

今の納得いかない現実は

確実に変わる。

そうなれば

今までの常識って

なんだったんだ?ってことになる。

結構

自分を苦しめている現実ってのは

自分で作った常識が原因だったりする。


長年培った常識を変える、というのは

簡単じゃない。

っていうのは

変える、ということよりも

変えよう!という決断をすることが簡単じゃないだけ。

決断してみたら

案外あっさりと変えられるものなんだ。

だから

自分次第なわけ。

苦しめるのも自分

楽になるのも自分。

自分を苦しめているのは自分、ということに気づいて

自分に優しい選択を心掛けている。

それでもまだまだ

自分を苦しめる常識ってのが残っている。

コツコツと

不要な常識を壊している最中の自分に自画自讃。

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