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自分の足で立つ

人は1人では生きていけない。

人は1人で生まれて、1人で死んでいく。

どちらも人生において

重要なこと。

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依存体質なことを自覚している。

割りと若い頃から。

結婚も依存だった。

依存している方が楽。

生きていることに期待がないから

希望とかより

楽を選ぶ。

誰かに寄りかかって

サポートしてる風にするくらいで

生きていることが楽だと思っていた。

妻とか母ってのは

サポートしてる感があるから

ちょっとした充実感や満足感も得られるし。

夫が亡くなってみて

1人で立ってる感がハンパなかった。

立ってる、という力強さはないけど

自分の足で地を踏ん張っている感とでも言おうか。

ぐらぐらとした弱々しい足だけど

自分の足で立つことの清々しさは感じた。

ちょっと歩けばよろけそうなくらい

おぼつかない生まれたての仔馬みたいだけど

自分の足で立とうとする力は

生きるエネルギーなんだな、という感覚。

*****

お腹の中から

外に出てくる道は

たった1人で通ってくる。

双子ちゃんだとしても

1人ずつ順番。

死んでいく時も

見守る人がいてもいなくても

意識が薄れていくのは

1人で感じていく。

それ以外のこと全て

実は1人で行っているんだよね。

連れションだって

用を足すのは1人だもの。

一緒にごはんを食べるってのも

実際、食べるという行為は1人だし。

*****

寄りかかろうが

寄りかかられようが

自分の足で立って

自分で決めたところに歩いていく。

自分で決めたことを

自分で取り組むってのは

自由の中に

責任というか

自信というか

前進しようというパワフルさがある。

誰にも

反対されず

指図されず

自由に動いていい、となったら

何をしますか?

お金のことを一切に気にせず

好きなようにしていいよ、と言われたら

どんなことをしますか?

誰かのせいにして

できないことを主張して

自分を正当化するってのは

マイナスエネルギーを出しているだけ

もしくは

人のエネルギーを吸い取っているかもしれない。

自分の足で立とうとしてみて

やっと

そんなことに気づけたのは

アラフォー。

アラフィフですけど

人生歩き始めたばかりの仔馬なのだ。

失敗を積み重ねている真っ最中だけど

凹みそうになりながらも

自分の足で歩きたい!と思う自分を

自画自讃。

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