私は私の言葉を取り戻す。
2021年3月11日。
いろんな人にとって「節目」から10年の日。
私にとっても、10年前の3月11日は、大きな「節目」だった。
数日の絶望感、その後わきおこった、社会や自分自身に対する怒りや憤り、事実を知りたいという気持ち、そして4月に南三陸、気仙沼で、焼けつく匂いを体に刻み、目と心に焼き付けた風景。
原発に頼らない、持続可能なエネルギー社会を求めて、仲間を募り、ともに学び、伝えることに心血を注いだ1年半。その学びをまとめて国に届けた夏の日。
私なりのエネルギーシフトは、自ら学び考え納得してその選択をする人を増やすこと。だから暮らし目線のローカルメディアでの発信に力を入れると、生きる道を定めて、1年かけて準備して、2013年にNPOを設立した。
それから8年が経過した。
それまで私とメディアは不可分であり、一心同体の存在だった。
NPOという組織を立ち上げてからは、少しずつNPOに参画する人が増え、中心となって運営を担う存在も現れ、私からメディアが分離していった。私が私としてメディアを語ることが、少しずつ、憚られるようになっていった。
私ではなく、私たち。
そのうち、「私たち」と言っていいんだっけ。私が「私たち」を語ることは許されているのか。語る内容に合意はとれているのか? と思うようになった。
外で語ることすべてにおいて自信が持てなくなり、私を主語に語ることが難しくなってきた。
何かを語るたびにどこかで「違う」の声が聞こえる。まあるい円を描きたいのにコンパスの足元がぐらついて、中心軸が定まらなくなってくる。まっすぐに気持ちを伝えると婉曲してとらえられる。なにかを自由に発想して語ることが憚られ、わたしの思いや行動が誰かの負担になると感じる。
私がメディアや組織を語ることが、私物化ととらえられるのではないか、そんな恐怖感で、言葉を次ぐことができなくなった。
今思えば、軽い抑鬱状態にずっと陥っていたのだと思う。
先だって、そして法人設立前から草創期の書類を廃棄した。メディアの草創期はフリーランスとの両軸で、私にとっては地続きの資料ではあるが、「今」と「未来」には必要ないとして、処分することになった。処分前に一度すべて目を通して、手放した。今ごろドロドロに溶かされて新たな資源になっているに違いない。15年前に出版社を退職した時のことについて綴ったメモが出てきて、それを読んだら、その時と今の心象がほとんど似通っていた。
2005年秋に、出版社を退職した時、当時の社長のモラルハラスメントで精神的に落ち込んでいた。長時間の編集会議の翌日のちゃぶ台返し、彼の一言で全てが覆ることの日常茶飯事に、「何を言っても無駄」「何を考えても無駄」と、発想や創造の泉が枯れていく日々だった。何も考えたくない、地雷を踏まないようにと、ただ淡々と日々をこなしていくうちに、ほかのことへの気力も奪われていたことに気がついた。
あ、場所を変えるしかない、と。その場で自分を立て直すことはできなかった。
しかし、今回は、その場から逃げることができず、心が少しずつ固まっていくのを感じながら、留まり続けた。心身が回っていかない。回転が遅く円を描くことができない。きっと、さまざまなサインも出ていたのだろう。時に察知してくれた仲間が的確なサポート、橋を渡し浮を投げてくれて、溺れて沈むことなく、なんとか浮いていられているようなものだった。
どろどろの沼でもがいている時には、自分では、何が苦しいのか、何がつらいのか、言葉にできないものだ。同じような経験を持つ人は逃れ方を教えてくれ、別の道も示してくれた。もがくことをあきらめて沈んでしまうかもしれない、別の船にのって別の国に行く選択肢もあるのかもしれない、でもやっぱり「諦めたくない」とぐるぐる回っているうちに、春の足音が聞こえてきた。
そうこうして巡ってきた、10回目の3月11日。
結局、私がはまっていた沼なんて、大したものではなかったのだ。
一気に彼岸まで押しやられてしまった人たちの、今なお故郷に帰れない人たちの、あまたの人生があって、それと同じように「今ここ」で生きている人の人生があって、それを聞いて書き残して伝えていく、自ら考え行動していく人への情報を伝えていく、それを生業にしていく、いたはずだったのに、私は何をやっているのかと。
天命、と思っていたものが、ほんのちいさなつまらない自ら生み出した拘泥で、自分で首を締めていただなんて。
自分のちっぽけさに、ハハハとむなしく笑った。
そうだ、私はちっぽけな人間なんだ。だけど、ちっぽけな人間だって、自分の人生を諦めちゃいけない。
私は、私を諦めない。
そして、「私たち」であることも諦めない。
私を脱ぎ捨て、私たちで未来をつくるために、ようやく新しい一歩を踏み出そうと思う。
小さく、弱く、情けない私のありのままを認めて、それも書き連ねて、私の言葉を取り戻して、もう一度、発信をしていきたいと思う。
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