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「能動的」承認欲求

能動的ならいんじゃね?と最近思っている。能動的というか、自分で「承認欲求を満たしに行こう!」と自覚した計画性があるなら。といった感じ。

自分という存在が必要とされることは、やる気に繋がる状態だってある。その際には、瞬間的な応急処置として自分の欲を他人で満たしてあげれば良いと思う。最低限、他人に必要とされる感覚は必要だ。それがないから、みんな苦しくなってるじゃんか。立ち止まらないためのガソリンは、いい塩梅の承認欲求だ。

何でもかんでも、他人で欲を満たすな、なんてそんな人間強くない。少なからず、自分は強くない。相手を傷つけなければただの利害一致のマッチングなわけで。

ただ、それが応急処置でなくなり瞬間的ではなくなり、長期的な依存になってしまったら元も子もない。

これって、自分より優れた人を羨みケツを叩き、自分より頑張ってないでヘラついている人を見て安心したり大事なものを再確認したりする。「都合よく首を上下に振る」ことと同じだなって思った。


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