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【小説】風にならないか【ついなちゃん二次創作】

此処は天下の険、箱根・足柄峠。

金色のススキの穂が峠をすさぶ風に煽られ、波のようにうねる。

その峠道を突っ走る大型バイクが一台。
ハーレーダビッドソンを大幅にデチューンした変わった外観のバイクで、サイドカーが装備されている。

運転するのはどうやら女性らしい。目深に被ったヘルメットの隙間から美しい黒髪が覗く。
そして、サイドカーの座席に必死に獅噛みついているのもまた女性のようだった。まだ少女と言っても良さそうな外見だ。

バイクは爆音と共に峠の頂に到着した。
頂にある休憩所のパーキングエリアに、バイクはゆっくり移動して止まる。

サイドカーから降りた少女がヘルメットを外して「ふはっ」と息をついた。肩まで伸ばした黒髪を控えめなツインテールにし、サクランボのような赤い髪飾りで飾っている。顔には赤いフレームの眼鏡。瞳が大きな、おとなしそうな雰囲気の少女だ。歳の頃は17〜18歳程か。

他方、バイクを運転していた女性もヘルメットを外す。面立ちは少女に良く似ているが、ずっと大人っぽい。長い髪は腰に届く程で、銀縁の眼鏡をかけたその顔には知的な気品が漂う。

「どう?たまにはこんなドライブも悪くないでしょ」
銀縁眼鏡の女性…高遠空たかとお そらは少女に向かって微笑んだ。

「すっごく楽しかった!」
少女…空の妹・高遠咲たかとお さきは顔を上気させ、興奮気味に答える。
いつもおずおずとしたおとなしい物言いで話し、万事控えめな咲が今日は珍しく興奮している。
空は興奮気味の咲の顔をまじまじと見た後、飽くまでもまったりと上品に言葉を返した。

「いつもの淑やかさが嘘みたいね。まるで子供みたいにはしゃいじゃって」
「風になったのかと思ったよ」

咲の興奮は醒めない。
それもそうだろう。空と咲の父親が自家用車を出して一家でドライブする時は常に安全運転第一だし、そもそもこんな遠方まで足を伸ばす事も無いからだ。
未知の体験に心底ワクワクが止まらないと言う風な咲を見つめ、空はポツリと呟いた。

「咲にとって、今回のドライブは未知の体験になる訳よね。でもそれは、お姉ちゃんも同じなんだよ」
「どう言う事?」
「お姉ちゃんはね、今までサイドカーをバイクに装備した事も無ければ、そのサイドカーに誰かを乗せて走った事も無いの。私のドライブにつき合ってくれたのは、咲が初めてよ」
「そうなんだ。…恋人を乗せたかったとか、そう言うのはある?」
「どうせ私とつき合ってくれるなら、同じバイク乗りが良いわね」

そう笑ってから、空は少しだけ真面目な顔つきになった。

「…私はもうひとつ、未知の体験をした事になるのかな。…【誰かの命を、自分の運転に委ねる】って事。ひとりでバイクに乗って転倒して怪我をしてもそれは自己責任だけど、誰かを同伴させてバイクを駈るって事はバイクのハンドルを握るドライバーが同伴者の命に責任を持つと言う事でもあるの。だから、今回のドライブはとても気持ちが引き締まったわ」

そう語る空の黒髪を峠の風が撫でる。
咲は風に黒髪を任せる姉の立ち姿を見て、姉が家を離れていた時期の事を思い出した。
詳しくは知らないが、なかなかに過酷な日々だったと聞いている。そして、今空が乗っている愛車はその頃からの相棒なのだそうだ。
池月いけづき】と言う名があると言う。何でも鹿児島県・指宿いぶすきにある湖、池田湖いけだこに所縁がある伝説の駿馬の名に因むのだそうだ。

暫しの沈黙の後、空は咲に向かって再び微笑んだ。
「帰る前にお父さんとお母さんへの御土産を買って、お昼ごはんにしましょう。此処のレストランは山菜蕎麦が美味しいと聞いたよ。咲は山菜蕎麦は平気?」
「たまに学食で食べるよ。小太郎君には『年寄りくさい』って言われるけどね」
「あの子はまだまだお子様舌だからね」
咲の幼馴染にして恋人…小林小太郎こばやし こたろうの名が出た辺りで、空がくすくす笑う。咲もくすくす笑う。

一頻り笑った後で、空は座席を持ち上げ、ヘルメットをしまい、鍵をかけた。

「じゃ、御土産購入とお昼ごはんに行きましょうか」
「うん」

何やら楽しげに語らいながら休憩所に吸い込まれる姉妹を見送るかのように、峠の風がまた一筋吹いた。

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この掌編は【鬼っ子ハンターついなちゃん】公式設定とは異なる二次創作長編【Evil Yggdrasill】の後日譚になります。
尚、公開当初は同じ箱根は箱根でも十国峠が舞台だったのですが、読者の方から【(厚柿市あつがきしがある)神奈川から箱根入りするならこちらの方が地理的に無理がない】とご指摘頂き、舞台を足柄峠に変更しました。

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