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【小説】序章【ついなちゃんのスクールライフ】
20XX年、春。
神奈川県・厚柿市に隣接する神域。
小高い丘の上に建つ、荘厳な社がひとつ。
朱塗りの大鳥居、白木の材も眩しい本殿、そしてその向かい側に建つのは生活感溢れる社務所。社務所の玄関には丸太を荒く削いだ看板がぶら下がっており、墨痕鮮やかにこう記されている。
【御剣神宮】
その、ゆかしき社…御剣神宮に続く石段を、橙色の地に鶴の刺繍が入った着物を着た小柄な銀髪の娘が、下駄の音も軽やかに歩む。
銀髪の娘の歩みは、社務所の玄関でピタリと止まる。
「主神様、只今戻りました」
銀髪の娘…御剣神宮の神使・斎鬼は細い声で言うと、社務所の引き戸に手をかけた。
カラカラカラ…
引き戸が乾いた音を立てて横に滑る。
斎鬼は行儀良く下駄を脱ぎ、上がり框に足をかけた。キシ…とかすかに上がり框が軋む。
「おかえりなさい、斎鬼」
社務所の中でも一番広い畳敷きの部屋から、若い男の声がした。
部屋の中央には卓袱台が置かれてあり、そこでは黒いYシャツに黒いジーンズ、黒い靴下を身に着けた背の高い長髪の美青年が、白い和紙を折り畳んでしきりに何かを作っている。
この男、実は御剣神宮の祭神である。
神格としての真名は【弥那津鬼雪人尊】。民草に交わり、世を正す事を生業とする国津神だ。ヒトの世に紛れる時は【皆月雪人】の名を名乗る。以下、弥那津鬼雪人尊の名は【雪人】にて統一する。
「過日、彼女…如月ついなが無事に厚柿市に至ったようです」
斎鬼が報告する。雪人は紙を折り畳む手を止め、顔を上げた。
「無事に厚柿市に至りましたか。良かった良かった。で、その暮らし振りは如何ですか」
「鉄鋼関係の企業に勤める男と、その家族が住まう家に身を寄せております。その男や、彼の妻には、まるで我が子のように可愛がられています」
「それは何より」
雪人はそこまで言うと視線を再び卓袱台に移し、先程まで作っていたものを手に取った。それは、白い和紙で作った幾つかの折り鶴だった。
「ついなさんの身辺については、引き続き彼等に見晴らせましょう」
雪人はそう言うと小声で何やら呪文らしきものを唱え、折り鶴の群れにフッと息を吹きかけた。
刹那。
折り鶴達は全て生きた白鷺に変わり、ガアガアと喧しく啼きながら雪人の掌の上で激しく羽ばたいた。
「済みませんが斎鬼、窓を開けて下さい」
「はい」
言われる侭に斎鬼が窓を開けると、白鷺の群れはワサワサと羽ばたきながら窓を潜って外へ飛び立って行った。
「そう言えば」
白鷺の群れが去った彼方の空を見上げる斎鬼の姿を横目に、雪人はゆっくり立ち上がり、台所に出るとヤカンに水を張り、火にかけた。
「本日の供物に牡丹餅が上がって居ました。外歩きで疲れたでしょう。茶でも飲んで足を休ませなさい」
「ありがとうございます」
斎鬼は、そこで漸く表情を和らげた。
その翌朝。
厚柿市の郊外にある、白い壁も眩しい真新しい一軒家の一室。
ぬいぐるみに囲まれた、清潔な白いシーツのベッドの中で、少女は夢を見ていた。その少女の髪の毛は自分の踵に毛先が届く程に長く、真珠のような美しい色をしていた。そしてその少女の肌は、磨かれた玉のように透き通って白かった。
夢の中。
少女の目の前にひとりの女性が立っている。
赤と黒と橙色を基調とした戦装束に身を包み、片手に三叉の矛を持っている。額には金色の瞳を呈した四つ目の鬼神面をつけ、身の丈より長い真珠色の髪を頭の両脇でツインテールに結んでいる。
そして…琥珀色の瞳を呈したその女性の顔は、幾らか大人びいた表情をしている事を除けば、まるで鏡で写したように自分にそっくりな顔をしていた。
戦装束に身を包んだ、自分にそっくりな女性は、穏やかに微笑むと語りかけた。
「幸せにやっとるようやね、もうひとりの【ウチ】」
少女はその言葉の真意を計りかね、答えに窮して黙り込む。
「ウチはカミサマになってもうたから、もう人間としての幸せは享受出来へん。その代わり、もうひとりの【ウチ】…アンタがウチの分も幸せになるんやで。ウチはいつでも空から見守ってるさかい」
その言葉と共に、戦装束の女性は段々その面影が薄らいでいく。
「待って!」
少女が漸く声を発する。その声は、戦装束の女性と全く同じ波長だった。
「…胸を張って生きや。もうひとりの【ウチ】。アンタは、きっと幸せになる。ウチが太鼓判押すで」
その言葉を最後に、戦装束の女性の姿は煙のように掻き消える。
「待って!ウチを置いて行かないで!ウチは…ウチは…!」
がばっ
自分の叫びで少女は跳ね起きる。
枕元を見つめ、自分の手を見つめ、やっと夢だと気がついたら、何故か少女は目頭がじぃんと熱くなった。
「…起きた?」
赤いセーターにジーンズ、紅葉柄のエプロンをつけた淑女が、少女の部屋のドアを開けた。腰まで伸ばした髪の毛は艶々と黒く、弓のように形の良い眉の上で前髪を綺麗に切り揃えている。その表情は飽く迄柔和で、陽だまりのように暖かい眼差しが印象的だ。
淑女は、寝床で目を潤ませている少女を見て少しだけ怪訝な顔をした。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
「ううん、何でもあらへんよ…楓ママ」
少女がやっとそれだけ言うと、淑女…楓は少女の頭を優しく撫でた。
「朝ごはんが出来たから、丁度起こそうと思ってたの。さぁ、顔を洗ってダイニングにいらっしゃい」
「おおきに」
少女が礼を言うと、楓は安心したように頷き、鼻歌を唄いながらダイニングへ向かった。
洗顔を済ませた少女がダイニングに至ると、そこにはやや赤ら顔ながら目鼻立ちの整った背の高い紳士と、楓をそのまま5歳くらいに幼くしたような娘が既に着席していた。
「おはよう」
読みかけの新聞を折り畳みながら紳士…楓の夫・鶴賀荒人は微笑んだ。
「おはようございます、荒人パパ」
「おいおい、パパに向かって【ございます】は無いだろう」
そう言って荒人は苦笑する。
「おねえちゃん、もううちのかぞくのいちいんなんだから、そんなにかしこまらなくてもいいんだよ」
幼い娘…荒人と楓の間に生まれた子、華弥がませたひと言を口にする。
「今日の朝ごはんのメインは、フレンチトーストとカボチャのポタージュスープよ。サラダも他のおかずも丹精込めて作ったから、おなかいっぱい食べて頂戴ね」
楓がにこにこと微笑み、少女は促されるままに着席してフォークを手にした。
「今日はパパがお休みだから、ごはんが済んだらみんなでお出かけしましょ。何処か行きたい場所の希望はある?」
「どうぶつえんがいいー!らいよんさんに あいたい!」
楓の言葉に華弥がすかさずそう返し、荒人はそれをかすかな笑みと共に眺めている。
(…家族って、良ぇモンやなぁ)
フレンチトーストを頬張りながら、真珠色の髪の少女…如月ついなはしみじみと思った。
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