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【小説】事の起こり【ついなちゃんのスクールライフ】

そもそもの事の起こりは、半月程時を遡る。

神奈川県・厚柿市あつがきし郊外。
坂道を登った丁度てっぺんにある、白い壁も眩しい新築の一軒家。

そのリビングで、セーターにジーンズ姿の、背が高く少しだけ赤ら顔の目鼻立ちの整った紳士が、コーヒーを飲みながら寛いでいる。

彼の名は鶴賀荒人つるが あらひと。相模原市にある鉄鋼会社の営業マンを生業とする、温厚篤実な男だ。

「あなた、コーヒーのお代わりは要る?」

ダイニングから長い黒髪を揺らして、Yシャツとジーンズの上から紅葉柄のエプロンをつけた淑女がリビングに入って来た。
荒人の妻・かえでである。
「ん、頂こうかな」
荒人が空になったティーカップを、楓が持っていたお盆に静かに乗せた、まさにその瞬間。

ぴんぽーん

玄関のチャイムが高らかと鳴った。
「はて、こんな時間に誰だろう」
荒人は軽く訝りながらも、玄関まで歩を進めるとドアノブに手をかける。
「どちら様ですか?」

かちゃ

ドアの向こうには、荒人が予想していなかった人物が居た。

辛子色のジャケットとズボンに黒いYシャツ、首には太く長い数珠。分厚いレンズのサングラスを眉の上に乗せた、色黒で屈強な体格の禿頭の老人だった。

宝庵和尚ほうあんおしょう!今日はまたどうしてこちらに?」
「久しいな、荒人殿。今日はちと相談と言うか、頼みがあって参った」

そこに居たのは、京都都・鞍馬山に【如月庵きさらぎあん】と言う小さな寺院を構える僧侶・如月宝庵きさらぎ ほうあんだった。
…最も、寺で作務衣を纏っている時ならいざ知らず、宝庵の他所行きの服装を一瞥して彼が僧侶であると見抜ける者は甚だしく少ない。洋装にサングラス、革靴を履くその迫力のある姿は、僧侶と言うよりはヤクザの親分である。

荒人と楓は、過去に新婚旅行で鞍馬山を訪れた際に、宝庵の寺院【如月庵】に足を運んだ事がある。
宝庵は、とにかく僧侶としては破天荒で奇天烈な男で、仏事の合間の寸暇を惜しんでは様々な発明品を作り出し、周囲を驚かせると言う事を臆面も無くやってのけるかぶいた男なのであった。

「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」

荒人が宝庵和尚を中へいざなおうとした時、宝庵和尚の背後に小さな影が隠れているのが見えた。

それは、荒人が今まで一度も見た事が無いような、華奢で可憐な少女だった。
肌の色は雪かぎょくのように白く、頭の両脇できつくリボンで縛った身の丈ほどもある髪は真珠のような不思議な色合いをしている。猫の目のようにきりっとした瞳は琥珀色に輝く。動き易そうな軽装をしている。歳の頃は15〜6歳位か。

その少女は、怯えるでもなくまた愛想を振りまくでもなく、無言のまま身じろぎもしない。

「他でもない…今回荒人殿を頼ったのは、この娘の事じゃ」

宝庵和尚は、何処か沈んだ面持ちでそう言った。

********************

「…すると宝庵和尚は、彼女の両親に代わる形で、ずっと彼女の面倒を…」
リビングで楓が淹れたコーヒーを飲みながら、荒人と宝庵和尚の談話は続く。宝庵和尚は、真剣な面持ちで述懐した。

「気の毒な娘なのじゃ。体が弱いと言うたったそれだけの理由で実の父母から無理矢理引き離され、今まで儂の周囲以外の世界をこの娘は見た事が無い。若しこの娘が今のまま成長しては、きっと良くない事が起こる…そう思って、今回無理を承知で頼みに参った次第じゃ」

宝庵和尚曰く、この色白な少女は自分にとっては実の娘の子…つまり孫に当たり、生まれた時の脆弱さを悲観した彼女の両親…主に母親の判断による所処が大きい…により、生まれて間も無い頃に捨て子同然に宝庵和尚の元に預けられたのだと言う。

「幼い頃は病気がちで、なかなか病院のベッドと縁を切る事が出来なんだ。そして入退院を繰り返して学校に通うようになってからは、この特徴的な外見から苛めの対象にされてな…」

痛みを堪えるような表情でそう語る宝庵和尚の横で、少女は自分の事を語られて居ると言うのに何処か他人事のような顔をしていた。荒人と楓には、それが周囲からの苛めによる影響だと直ぐに察しがついた。

「社会勉強の為と言うのも、勿論ある。だが儂は、それよりもなによりもこの娘に家族の暖かさを知って欲しいのじゃ。そう言う訳で…」
「判りました。他ならぬ宝庵和尚の頼みです。引き受けましょう」
荒人が力強く頷いた。
「本当か!済まぬ荒人殿!楓殿!恩に着る!」
皺だらけのごつい手で宝庵和尚は荒人の手を握る。荒人はその手の力強さに驚きながら、同時に自身に伸し掛かった責任の重さをも痛感していた。

宝庵和尚の頼みと言うのは、荒人と楓の家に少女をホームステイさせたい、と言うものだった。

手荷物などは後日改めて持ってくる、日取りは改めて決める…と細かい話を詰めた所処で、荒人と楓が宝庵和尚と少女を送り出した時には、もう辺りは暗くなりかけていた。

「帰りは足元にお気をつけて」
そう声をかけてから、荒人はふと、少女の名前をまだ確認して居ない事に気がついた。荒人は宝庵和尚に言った。
「そう言えば、彼女の名前を確認するのを忘れてました。彼女の名は…」
「儂とした事が。孫娘の名は…」
そこまで声を出しかけた宝庵和尚を、少女が押し留める。そして澄んだ細い声で、然しはっきりとこう名乗った。

「ウチ、如月きさらぎついな。【鞍馬天狗くらまてんぐ】と呼ばれた平安時代の異能者・鬼一法眼きいちほうげん所縁のモンや。どうぞ宜しゅう」

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