【小説】奇妙な邂逅【ついなちゃんのスクールライフ】
その日の放課後。
ついなは弘子と共に、第二美術教室に続く長い廊下を歩いて居た。
「へぇ…弘子ちゃん、美術部のマネージャーやってるんや」
「はい。Excelの扱いに慣れて居るのを買われまして、部員の方々のスケジュール管理を任されてますの」
「スケジュール管理?」
「ええ、ウチの学校の美術部は少々特殊でして…学園祭や体育祭の時に、各クラスの掲示物等の作成で部員が手分けして指導に当たりますの。それで、限られた部員を満遍なく各クラスに派遣する為に、運動部のマネージャーに比肩する程のスケジュール管理が要求されるんです」
「ふおおぉ…」
にこやかに話す弘子の言葉に、ついなは顔を紅潮させて頷いている。
「ほら。着きましたよ。此処が美術部の部室ですわ」
弘子の言葉に我に返ったついながふと見上げると、其処には『第二美術教室』と書かれた札が設置されていた。
「失礼します」
ノックの後、弘子がそろそろと扉を開ける。
美術教室の中には殆どひと気は無く、教室の少し奥まった位置に据えられたキャンバスに向かってひとりの少年が筆を振るっているだけのようだった。
ついなはその少年の姿を見て内心驚いた。
その少年の髪はまるで老人のように白く、後ろで軽く束ねられる程度には長い。そして、その少年の左足は、金属製の義足だった。
「今日は竹林寺先輩だけですか?」
弘子が少年に声をかけると、其処で初めて少年は振り向いた。その左目には、ひと目でそれと判る酷い傷痕があり、その傷痕を隠すかのように眼帯がかけられていた。
「やぁ弘子マネージャー。遅かったね」
少年は低いがはっきりとした声で話し掛けた。そして、弘子の後ろで呆気にとられているついなの姿を見て、少しだけ驚いた様子を見せた。
「お客さん?初めて見る顔だけど」
そう言ってから少年は、キャンバスの影に立てかけられた松葉杖を手に取り、腰を降ろしていたスツールからゆっくりと立ち上がった。
「はじめまして。僕の名前は竹林寺若冲。美術部所属の3年生だよ」
隻眼の少年…竹林寺若冲はついなに向かって静かに名乗った。ついなが慌てて弘子の前に進み出る。
「あの…はじめまして。ウチ、今日から一ヶ月だけこの学校にお世話になる事になりました、如月ついな言います」
そう言ってついなはぺこりと頭を下げる。
「如月ついな…さんか。良い名前だね」
僅かな沈黙の後、若冲が頷く。そして、ついなの後ろに控えていた弘子に声をかけた。
「富士村先生と他のみんなは、スケッチに行ったり図書室で資料を漁ったりしてるよ。今、部室に居るのは僕だけだね」
「そうでしたか」
「富士村センセイ?」
「…嗚呼、美術部の顧問の先生だよ。だいぶ高齢だけど、美術部の生徒と一緒になってスケッチに励んだり、なかなかアクティブな先生さ」
「ふおおぉ…」
ついなが感心して溜息をつく。若冲は、そんなついなの顔を見てかすかに微笑んだ。
「それはそうと、折角お客さんが来たんだから、ゆっくりして貰わないとね。ちょっと待ってて。今、お茶の準備をするから」
「あ、あの、ウチの事やったらお気遣い無く…」
ついなが慌てる。然し、若冲は平然とした顔でこう言った。
「大丈夫だよ。ウチの部はね、部員以外の人が来たらお茶をお出しするのが倣いなんだ」
「竹林寺先輩、お茶の支度でしたらわたくしが…」
「平気平気。弘子マネージャーはお茶の準備の間、如月さんと世間話でもしててよ」
若冲はそう言うと、不自由な足に似合わぬスピードで部室の一画に歩いて行き、電気ポットに手を掛けた。
「ところで如月さん、コーヒーか紅茶、どっちがいい?何なら日本茶もあるけど」
「ほなら…日本茶で」
遠慮がちについなは答えた。
10分後。
ついなは若冲が淹れてくれた玉露を啜り、カステラを摘みながら、部室の壁にかけられた様々な絵に魅入っていた。
「凄いなぁ…この絵、みんな美術部の人が描いたんですか?」
目を丸くしながら質問するついなに、若冲は淀み無く答える。
「美術部員が描いたのもあるし、富士村先生が描いた作品もあるよ。因みに…あの壁の隅に掛ってる掛け軸は、僕が描いた奴」
若冲が指し示した先の壁には、立派な掛け軸に仕立てられた牡丹の花の水墨画が掛かっていた。
ついなの驚きの色が一層濃くなる。
「あのぅ…今、竹林寺はんが描いてるその絵、油絵ですよね?油絵だけやのうて、水墨画もイケるんですか?」
ついなの問いに、若冲では無く弘子が答える。
「竹林寺先輩は、どんなジャンルの絵でもそつなくお描きになる天才ですわ」
「天才なんかじゃないよ」
若冲が慌てて弘子の言葉を打ち消す。
「ステータスの振り幅がおかしいんだ。絵が描ける他は何も取り柄が無いもの」
「ご謙遜を」
弘子はそう言って微笑む。
ついなは、弘子と若冲のやり取りをポカンとした表情で眺めて居たが、ふと真面目な顔つきになった。
「ところで竹林寺はん…若し、答えにくかったらノーコメントで良ぇんやけど…ひとつ質問良ぇですか?」
「何なりと」
「竹林寺はんのその髪やけど…生まれつきなんですか?それとも…」
「嗚呼これ?後天的なものだよ」
若冲はすました顔で、たったひと言、そう返答した。
「僕は今から2年位前、春休みに両親とドライブしている時に交通事故に遭ってね。両親は即死、僕も左目と左足を失ったんだ。その時の事故のショックで白髪が一気に増えちゃって。髪質が弱いから染める事も出来ず、今もこんな案配さ」
ついなが絶句する。
「そないな事が…ごめんなさい!つらい過去を思い出させてしもて…」
「大丈夫だよ。もう随分前の出来事だし、今じゃ笑い話さ。片目と片足は無くしたけど、幸い利き腕と片目は残ってるから、こうして絵を描く分には全く支障は無いしね」
若冲はそこで少しだけ言葉を切り、ひと呼吸置いてからついなに訊ねた。
「ところで…如月さんのその真珠色の髪は、きっと生まれついてのものだね」
「え…?どうして判ったんですか?」
「不自然な感じが少しもしなかったから。ナチュラルな美しさと言うか…ごめん、上手く言葉に出来ないや」
若冲は、そう言うと決まり悪そうに笑った。
***************
ついなが弘子と共に第二美術教室を出たのは、その日の夕方近くだった。
暫しの談笑の後、ついなが弘子に打ち明けた。
「…偶然やと思うんやけど」
「いかがなさいました?」
「昔読んだ本に、『単眼小僧の成り立ち』ちゅう論文が記載されとってね」
「あら、ついなさんは随分難しい分野の本をお読みになられるのですね」
「その論文に、こんな事が書いてあったんよ。…『嘗て、神前に人身御供として捧げられる人間に対し、ひと目でそれと判るよう、片足を折り片目を潰す風習があった』って」
「まぁ」
「…でね、そうした『片目片足の人身御供』が単眼小僧の伝承のルーツやって書いてあったんやけど、その論文にはこうも書いてあったんよ。『生贄とされる人間は、片目を潰される事に拠り、普通の目では見る事の出来ない心の奥を見る事が出来るようになる』って」
「そう言えば…あっ」
弘子がハッとした表情になる。ついなはポツリと呟いた。
「竹林寺はんの姿を見た時…その論文の事を思い出して背中に電気が走ったか思たわ。あんな奇妙な偶然って、あるんやねぇ」
「おーい!ついなちゃーん!」
遠くの方で美奈の声がした。丁度部活を終えて帰路につく途中のようだ。後ろには小奈海とうさぎの姿も見えた。
「あ、美奈ちゃん!小奈海ちゃん!うさぎちゃん!」
ついなは3人に手を振りつつ、弘子に素早く耳打ちした。
「さっきの話、竹林寺はんには内緒やで」
「承知しましたわ」
弘子は笑顔で頷くと、ついなと共に親友達の元へ歩を進めた。
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