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【小説】体験入学前夜【ついなちゃんのスクールライフ】

神奈川県・厚柿市。鶴賀家の一室。

「…はぁ」

ベッドの上で、パジャマ姿のついなが枕を抱いて、不安げに溜息をついた。

「どうしたの、ついなちゃん?眠れないの?」
そう言いながら、楓がマグカップをふたつ乗せたお盆を持ってついなの部屋に入ってきた。マグカップからはかすかに湯気が昇っている。

「ホットミルクよ。眠れない夜はこれに限るわ」

そう言って楓は、かわいらしい熊の意匠が施されたマグカップをついなに差し出す。ついなは黙ったままマグカップを受け取り、良く息を吹きかけて程好く冷ましたホットミルクをひと口含む。楓は、ベッドの上で座り込むついなの隣に腰を下ろした。

「…楓ママ」

ついながマグカップから唇を離し、楓に問いかけた。
「…一ヶ月の体験入学とは言え、ウチ、明日から行く先でみんなと上手くやれるやろか」

ついなが通うフリースクールに、東京都・吉祥寺にある私立高校から一ヶ月限定の体験入学の募集があったのは、つい数日前の事だった。

それを聞いた荒人は即断即決した。

「ついなちゃん。折角だからこれに応募してみないか」

ついなは最初の内、荒人の意図が判らず、鳩が豆鉄砲を喰らったようにきょとんとしていた。荒人は言った。
「受け入れ先の私立高校は、近年稀に見る自由な校風で、先生も生徒も基本善人ばかりと聞いている。きっとついなちゃんの事も暖かく受け入れてくれるさ」
荒人の熱弁は続く。
「今までの、ついなちゃんの通学にまつわる思い出がネガティブなものばかりだったから、いろいろ不安に感じるのも無理はない。でも…安心して。応募要項にもこうある。【体験入学者に何か酷い事をする生徒が居たら、校長先生自ら厳粛に対処する】とね。何も心配は要らないんだよ」

幸いな事に、応募の手続きは滞りなく進み、ついなはかの私立高校に一ヶ月の体験入学をする事に決まった。

然し、ついなの不安はなかなか晴れなかった。

「…楓ママ。ウチ、荒人パパの事、信じてぇのん?」

ついなが楓の顔をまじまじと見つめる。その表情は、まるで迷子になった小さな子供のように頼りなげだった。

「大丈夫。ウチの人は決して嘘を言ったりしないわ」
楓がにっこり笑みを浮かべ、ついなの髪をしっとりと撫でる。ついなの顔が、ほんの少しだけ明るくなる。

「さぁ、そろそろ寝なさい。明日は早めに吉祥寺まで出て、学校での諸手続きと、ウィークリーマンションの契約をしなきゃ」
「判った。おやすみなさい、楓ママ」

そう言って、ついなは静かにベッドに身を横たえた。

*****************

それから数日後。

キーンコーンカーンコーン…。

チャイムの音が校舎の中にこだまする。

此処は東京都・吉祥寺にある、とある私立高校。この日、その高校の2年B組は、少しだけ騒がしかった。

「ねぇねぇ弘子ちゃん、小奈海ちゃん、うさぎちゃん」

級友の名を呼びながら教室に駆け込んで来たのは、濃い目の栗色の長髪を1本の長い三つ編みにした、小柄でかわいらしい少女だった。

「どうしたのよ美奈。『銭形平次』の手下てか宜しく慌てて駆け込んで来たりして」
栗色の三つ編みの少女…赤城美奈あかぎ みなを振り仰いだのは、すらりと背が高くモデルのように可憐な姿をしたロングヘアの少女…青木小奈海あおき こなみだった。

「あのね、今日から一ヶ月限定で、ウチのクラスに転入生が来るんだって!女の子みたいだよ」
美奈が早口でそう言うと、教室の一画がかすかなどよめきに包まれた。
「一ヶ月限定で?例の外部フリースクールからの体験入学の子?」
そう言いながら目を丸くするのは、艷やかな黒髪をポニーテールに結び、前髪を眉の辺りで綺麗に切り揃えた瓜実顔うりざねがおの少女…湯木城ゆきしろうさぎ。
「どんな子かな?」
「そこまではアタシにも判らなかったよ」
うさぎの疑問に、美奈が済まなそうな顔をする。

此処へ来て、それまで美奈達の会話を黙って聞いていた、銀縁眼鏡をかけた鶴のように優雅な雰囲気の少女…緑川弘子みどりかわ ひろこが口を開いた。
「どのような事情でウチの学校にいらして、そしてどのような事情でひと月しかこの学校に滞在しないのか、詳しい事情は判りませんけれど…わたくし達に出来る事と言ったら、その転入生の方がウチの学校で充実したひと月を過ごせるよう、心配こころくばりをする事なのではないでしょうか」
「確かに。違いないわね。流石は弘子」
小奈海が感慨深げに幾度も頷く。
「その子が来たら、アタシ達が一番最初の友達になってあげようね!ね!」
美奈が拳を突き上げた。
「朝っぱらからテンション高過ぎよ、美奈」
小奈海がそう言いながら、美奈の頬っぺたをむぎゅっと摘み上げる。
「いひゃいいひゃいいひゃいいひゃい!ひゃめてぇ小奈海ひゃん」
「待って小奈海ちゃん、美奈ちゃん何も悪い事言ってないよ」
うさぎが慌てて小奈海を宥めた。
そんな光景を、弘子は止めるでもなくにこにこしながら眺めている。いつもの事なのだ。

その時、教室の扉が勢い良く開いた。

「オラァ!皆の衆席につけぇ!」

威勢の良い男の声が教室に響く。生徒達が一斉に自席に座る。

金色の短い髪に臙脂色のジャージ姿と言う若い男性が、つかつかと教室に入って来た。2年B組の担任を務める教師、徳島和親とくしま かずちかである。
和親は教壇に立つと手にした書類を机の上で荒々しく整え、それから口を開いた。

「おはよう、皆の衆。さて、既に一部の連中は知っている様子だが…このクラスに外部フリースクールからの体験入学で、一ヶ月限定で転入生が来る事になった。皆の衆、仲良くしてやってくれ。苛めたら承知しねぇぞ」
そこまで言うと和親は黒板に向き直り、チョークを手に取ると何か書きつけた。


『如月ついな』


「キサラギ…?」
「変わった名字だな」

生徒達がひそひそと話し合う中、和親は教壇を降り、扉に手をかけた。

「ほれ。入った入った」

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