2023年7月24日

 目が醒めたら、昨日よりもずいぶんと、指先までの意識がはっきりとしていた。
あまり眠らないまま、けたたましいアラームに叩き起こされたはずなのに、あのおそろしいつめたい沼からは、ひとまず逃げ出すことができた感覚がある。
 今日は休日だったけれど、朝から先延ばしにし続けてきた自動車学校にようやく行ってきた。陽射しが熱く、熱く、しかし珍しくぬめりけのない純粋な暑さだった。いつか読んだ小説のなかで、誰かが「暑いって、いうより熱い(ねつい)って感じ」と言っていたことを思い出した。わたしの人生には、いつも誰かの言葉がある。それが誰のものだったかを忘れてしまっても、ある瞬間ふと言葉だけを思い出す。ちいさいころから、他者の世界を一方的に取り込むこと、涵養し、それまでのわたしとぐちゃぐちゃに交じり合うまで咀嚼すること、それがわたしの孤独の埋め方であり、世界とのつながり方だった。心の中にささくれてずっとひっかかっている言葉がある。一時だけ、わたしの絶対的な評価者であり、先生のようだった人のものだ。その人にわたしは「自分の言葉で喋っていない、全部、誰かの借り物の言葉だ」と断じられた。それは、半分正解で、半分間違いだったと、いまは思う。すべての言葉をとどめておけるわけではないからだ。わたしの思考や、わたしの言葉は、誰かのものであったかもしれないけれど、確かにわたしが選び出し、ほかの膨大なピースとつなぎ合わせて、ふたたびうまれ出でたものだから。それをわたしは、借り物とは思わない。思いたくない。 
 約3か月ぶりの運転は楽しかった。もう少しで仮免許がとれそう、という局面で、引っ越しの忙しさを理由に放り出し時間が経ってしまったけれど、基本的な操作はすべて覚えていた。やはり、身体に刻まれた記憶はほんとうだ。短絡的な意味でも、そう思う。
 わたしは、生身で歩いているとき、すぐに隣の人にぶつかったり、無意識に幅寄せしてしまう。自分の車幅感覚はよくわからないのに、車に乗ると、驚くほど正確に走り、駐車できる。S字もクランクもお手の物だ。ますます、自分の身体を持て余していると感じる。オートマティックに生きてみたいと、思う。
 好ましい他者と会話し、機嫌が良かったので、スーパーで生食用のサーモンを買って帰った。それを卵と醤油とごま油でぐちゃぐちゃに和えて食べた。とろけるほどおいしかった。中村明日美子先生の漫画でも描写されていたけれど、卵は不思議に官能的だ。

涼しい部屋で夢うつつを彷徨い、暗くなってからペディキュアを塗りなおした。ずっとカメレオンみたいな緑色を適当に塗っていたけれど、スキンカラーに、青い大粒のラメを揺らめかせた。見たことないけど、天の川みたいになった。爪の先に気を遣うのは、快い。

鑑賞記録
「凪のお暇」(再見)
Doughnut Hole「おとなの掟」(ヘビーローテーション)

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