【ニュートラル自己嫌悪】雑記.20210506

・創作を始めた時から、ずっと抱いている心情のようなものがある。「僕は自分の人間性の良さを犠牲にして、その分を自らの作品の魅力に全振りしている」というものだ。これは今の今まで全くぶれていない感覚だ。

・あと、自分の容姿にも自信がない。もし何かの間違いでメディア露出とかがあったとしても絶対に顔を隠すだろう(TobyさんとかMSSPの方々への憧れがないと言えば嘘になる)。一応自分の分身に据えているキャラ(アイコンのやつ)も、人とはかけ離れたビジュアルにしている。

・だから、自分のことを書くことも好きじゃないしあまりそういった経験もない。自分の人間性に魅力を感じていないから、自分の経験を書いた文章も魅力がないだろうと考えるのは必然である。自分がエッセイ的な内容を書くにあたって自分が持っているエッセイ本を参照したのだが、その作者は星野源さんと青木志貴さん。かたやアーティスト及び役者、かたや声優さんだ。魅力ありまくり。それだけ読んじゃうと、魅力がなきゃ書いちゃだめじゃん、と思ってしまう。エッセイストという職業もあるし、別にそんなこともないんだろうけどな〜。刷り込まれてしまっている感覚を正す必要はあるかも。
なお、この文章は自分の思考を整理する目的も大きく、人に見せるのは二の次なのでそれにはあまり関係がない。

・すごくネガティブな文章になってるな。これは今僕がそういう周期にいるというのもあるけど、僕が後ろ向きな思考をしがちな人間であるという確固たる事実も絡んでいる気がする。それなりに環境には恵まれて育ててもらった方だと思うんだけど。コミュ障だったり、それに起因する引っ込み思案だったりがそういった考え方を形成してしまったのだろう。でも、それによってかなり小さい頃から小説まがいのものを書き始めてたり、あと図鑑とか小説読み漁ってたからその間に経験値が増えた。創作の素養みたいなのが育まれるきっかけにはなったかも。

・そういう意味でびねつさんの以前スペースでお話されていた内容にはびっくりしてしまった。「趣味をつくるため、人とのコミュニケーションの輪を広げるために絵を描き始めた」(うろ覚えの要約なので間違ってたらごめんなさい)とおっしゃっていたのだ。脳内で考えた物語やキャラクターが頭からアウトプットされるのが楽しくて絵を描いている、デザインや物語などの創作を主目的としている僕としては、強い言葉を使えば「マジで信じがたい話」だ。それで実際にコミュニケーションに繋げてるんだから、かなわんな〜と思う。

・まあでもそれって僕の絵は全く別のベクトルの魅力が出せるってことでもある。僕の絵は人間性を犠牲にして描いてるんだ。それすなわちコミュニケーションを犠牲にしているということである。ただでは死なんぞ。見てろよ。

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