MCU映画感想番外編②「スパイダーマン2」

※ネタバレ注意

昨日に引き続きスパイダーマン(無印)の感想を書いてみる。
前回(2002年)から2年後の2004年公開。
キャストは前作からの変更はなく上映時間も同じくらいの127分(前作は121分)

簡単なあらすじ

スパイダーマンことピーター・パーカーは学生生活やアルバイトのかたわら日々スパイダーマンとして町の治安維持に取り組む。
そんな中、ピーターが尊敬するオクタビアス博士が核融合実験に取り組むが特性アームの人工知能に心を支配されてしまい、暴走してしまう。
ヒーロー活動と私人としての生活の両立に苦しみ、その心の葛藤からヒーローとしての能力にも異変が生じる。
一時は個人としての生活を選び、完全にヒーローから足を洗うピーターだったが・・・。

前作に続きピーターが学生ということもあり、学園ドラマ的なさわやかさもあるが、中盤はヒーローとしての葛藤に悩まされることもあり雰囲気としてはやや重め。


ウェブシューターを使ったスパイダーマンのアクションシーンは前作同様時代を感じさせない躍動感にあふれている。
一方でオクタビアス博士が病院を襲撃し、悲鳴とともに病院関係者の顔がドアップになるカットは昔のスプラッター映画を彷彿とさせるもので思わずニヤリとさせられる。

いまさらだが、スパイダーマンの能力は、敵を倒す(攻)ことよりは人を助ける(守)ことに使われることが多いのに気づかされる。
ウェブシューターの能力は敵に使うことより、人命救助(あるいは移動用)に使われることの方が圧倒的に多い。
これはスパイダーマンが悪を倒すことでなく、人を助けることで平和へと導くヒーローであることを示唆してると思う。
身を挺してブレーキが壊れた電車を止めるシーンはスパイダーマンのヒーローとしての象徴的な場面だと思う。
これが前回から繰り返される「大いなる力に伴う大きな責任」の彼なりの答えなのだろう。

1人の人間がヒーローであり続けることへの葛藤や正義とは何かを改めて見つめなおすヒーローものの超王道な展開は使い古されたものだが、胸が熱くなるものがあった。
それはピーターの恋愛に対する不器用さやメイおばさんにベンおじさんの死の真相をなかなか打ち明けられない心の弱さが身近に感じられるところが大きい。
メイおばさんが、ピーターに誰もがヒーローを求めることを語りかける場面はまさしく自分の代弁者とも感じられ、よくぞ言ってくれました。
ヒーローを求めるのはこどもだけじゃないんだよ。

恋愛(ヒーロー引退)と正義(ヒーロー継続)の究極の選択に迫られて、ピーターは後者を選んだ。
ヒーローじゃなくても人生において、どちらか1つしか選べないことは自分にもあることに改めて気付かされる。

最後までお読みいただきありがとうございました。

#映画 #スパイダーマン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?