俺と春一番①

福岡風太さんの訃報が届いた。
風太さんは僕が19歳の頃から数年間スタッフとして参加したコンサート"祝春一番"の主催者であり舞台監督の方である。
この度は献杯を込めて僕の中の風太さんを振り返ろうと思う。

出会い

2008年

当時テツ青年19歳、大学2回生の春。学業とアルバイトと趣味の日々を送っていた。
いかんせんお金がなかったもので、如何に安く遊ぶかを模索する日々であった。
そんな時に、あるライヴの帰り道で"祝春一番"のビラをもらった。
それは4日続くコンサートで、数多いアーティストのラインナップの下の方に"有志スタッ募集"との文字を見つけた。
有志スタッフとは?!と疑問を持ちつつ、幅広く日割りされたアーティストをタダで見れそうな予感がして、後日恐る恐るメールを送った。

社会人経験のない自分はマナーを知らず、失礼なメールを送った気がする。
丁寧に返された返事には
『名前を名乗られてはどうですか?』
と書かれており、急いで個人情報を送り返した。
後日談で風太さん曰く
『名前だけでよかったのに個人情報が送られてきて笑った』
との事だった。
そうして『ひとまずお会いしましょう』という流れになり、直近の週末に天王寺公園辺りで落ち合った気がする。風太さんは
『かっこいい髪型の人がいるから、それです』
と目標を教えてくださり、実際のところどうやって見つけたのか覚えていないのだけど、どうにか合流した。
その日は音楽イベントを数個ハシゴして挨拶回りの同伴をさせてもらった。

当時自分の中ではCDかLIVEが音楽と繋がるツールだったのだけれど、その日の公園ではそこら中で身近な感じに弾き語りやらの音楽が流れていた。
発電機を持ち込みDJをしている人も居り、風太さんは
『あそこまではわからないけど、音楽は身近にできる』
という様なことを語ってくれた気がする。
そうして最終的に天満の事務所へたどり着いた。
その日は年上の人とばかり出会い緊張の極みだったのだけれど、事務所へ着くと歳の近いスタッフ数人と出会い緊張が解れた。

余談だが、MOFのメンバーで一番初めに出会ったのはnarumiさんでもitouさんでもなく、itouさん婦人のakariさんで、その日の春一番事務所だった。

そうしてスタッフとして参加の意思を伝え、
『今日から本番まで暇な時は事務所へ来たらいいよ』
と教えられたのであった。

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