膵炎 365日後...

その後経過観察を行なっていた膵炎は、約一年半後のそれで見事に炎症が見つかり再入院となった。
肉体的にも精神的な面においても、なんとなくそんな予感はしていた。

肉体的

前回の経過観察の時に、担当の先生から膵臓の復活を告げられた僕は天狗になっていた。
それでも船上では禁酒を徹底しており、その反動と言わんばかりに上陸時の飲酒の頻度は増えていった。
昼間の飲酒は控えるようにと心掛けていたものの、やはりそれも条件が揃えば崩れる傾向にあった。

精神的

別に自殺願望などないし人生100年設計には賛成派なのだが、何かの目的が果たされたり、飛び上がるほどに喜ぶような事があったりすると終幕を意識してしまう。
この前航海で長崎へ立ち寄った時に疎遠だった叔母さんと会い、"お互い元気なウチに挨拶をしておきたい"という目標が達成されて、なんとなくエンディングノートのような気持ちになっていた。
その勢いに乗って、休暇期間中に船の師匠へ会いに行く予定を立てたりしている時に南海トラフ地震を懸念する地震が起こり、これは目標を達成するまで死ねないと焦燥感を感じてすらいた。(ある意味で"死"に似た何かを意識していた)

診断

それらはあくまで結果をもとにした推理に過ぎず、全ては数字で表される。
経過観察で行った血液検査の結果、膵臓の数値が異常に高く入院へと転じたわけである。
今回の診察結果は前回同様"急性膵炎"だが、これが続くうちに"慢性膵炎"に変わっていくのだろう。
痛風のように、発作の気配がしたら食生活を変えることによって回避できたら良いのだが、膵炎のそれは取り扱うものが"膵臓"なのでそうもいかないらしい。

否。振り返ると体調の悪い日に栄養ドリンクを飲んでまで飲酒したりしていた。
体調不良というのは分かりやすく発作の気配である。
そこまで無理をしてまで飲酒する必要があったか?と思うが後の祭りである。
(その時は必要を感じて飲んだのだろうし)
なかなか治らないアトピーが物語るように、僕は何処かで自己犠牲のような破滅願望を持っているフシがあるので改善して行こうと思った。
結局のところ病気は精神が起因するのだろう。

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