K原ミーティング

あらすじ

去年父方の祖母が亡くなった。
父とは両親の離婚後に死別しているので、そちらの家系とは疎遠であり、父のANIである叔父さんからの連絡のおかげで僕はそれを知る事になった。
叔父さんは長男らしく
『お前もK原の人間だから』
と、葬儀には遅ればせながらも連絡を下さった。
その縁で父の妹である叔母さんとも連絡をとる機会があり、
『たまには長崎(田舎)に来てね』
と優しい言葉を頂いていた。

その後頭の隅で長崎へ訪れる機会を伺っていたのだが、仕事の都合で船にて訪長の機会が巡ってきた。
長崎への入港が決まり叔母さんに連絡をした24時間後には市内で会合が行われた。

K原ミーティング

昼に長崎駅で叔母さんと落ち合った。
『お久しぶりです』
の挨拶から始まり、中華料理屋でちゃんぽんを食べながら父の事やら祖母の話をした。

前日の電話の時から叔母さんの長崎弁を聞いて思っていたのだが、長崎は九州でありながらも方言でいうと沖縄に近い。
考えてみると、名物の豚の角煮だって沖縄と被っている。
そういう思いの中で食べたちゃんぽんは、麺がどことなく沖縄そばだったりして、味付けもそれらしく薄かった。
昔父と長崎へ訪れた時に食べたちゃんぽんは塩味の中に甘味が含まれており逸品だったのだが、あれは思い出補正なのだろうか。
いや、当時は日常的に母Kの手料理を食べていたからだろう。

母は調味料を使わない人だったので基本的に薄味だった。
どれ程かというと、その頃僕が鼻中隔湾曲症で手術入院した時に、薄味で不味いともっぱらの噂だった病院食の事を、味がして美味しく感じた程だった。

その後叔母さんの旦那さんも合流し、成り行きでその日は叔母さん達の家へ泊めてもらう事になった。

叔母さんの家

叔母さんの家は子供の頃に泊めてもらった事がある。
久しぶりに訪れると、やはり見覚えのある風景だった。
日常の中で人の家の間取りがフラッシュバックする事があるのだが、それがこの家だった。
良い答え合わせになった。

夜には従兄弟の家族も合流し、久しぶりの再開と新しい家族への挨拶を済ませて晩御飯を共にした。

父のこと

翌朝起床して朝食を頂いた後、船まで送迎してもらうまでに空いた時間があった。
その時にした叔母さんとの会話は、やはり父の話だった。

僕の知る限り、父は離婚へ至るまでに二度家庭裁判所へ行っている。
その結果は父が優勢だった。
父が慰謝料をもらって離婚できるとまで云われていたのだが、父の願望としては"離婚したくない"だった。
それでも母の気が治らなかったもので、裁判所を抜きにして家族会議を行った結果離婚が成立した。
その時期に父は叔母さんへ離婚の相談をしていたそうだ。
お婆さんの方へは父から連絡をいれていなかったそうだが、母の方が勝手に電話をして離婚を伝えていたらしい。
その内容だと父は母に暴力をふるうという事になっていたそうで、婆さんも叔母さんも驚いていたそうな。

息子といえど、両親のそういった関係の事はよくわからない。見ていないものは知らない。
それでも僕の記憶では父に打たれた事がない。
おそらく母の虚言癖だと思う。
それを叔母さんに伝えると安心した様子だった。
誤解とは些細なことで起こり、何気なく解決するのである。
それでも植え付けられた誤解の種は時間と共に育っていくもので、気付けば触れてはいけないような大樹に育つこともある。

この度は悩んだ末に叔母さんと会ったのだが、父への誤解を知り、解くことができたので良かったと思う。

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